GP meets FJ in Hiroshima 1
今夜のメニューはキムチチゲだとの合意に至ったとき、学長は言った、「マスイ、ですかね」。その言葉を聞き終わらないうちに、事務局CHOは「マスイだね」と応える。当意即妙というよりは、単に同じこと考えてたというほどの会話。事務局CHOというのは、別組織の役職名であるが、便宜的にここではそう書いておこう。学長とは、名うてのあのシャリバリ地下大学学長。見た目と風貌と実年齢は、いずれも二人の役職名とは相容れない。
そして、不覚にも「マスイ」を「麻酔」と脳内感知した私は、たしかに、ヒロシマ・ビギナーであった。
フード・ジョッキー。その名を知らしめた問題作が発表されてすでにひさしい11月某日、異議を申し立てるべく筆者が申し入れた「フード・ジャム」が実現した。これはその報告である。
「ちょうどポイントがたまったところですよ」と、学長はほくそ笑む。いっぽうの事務局CHOは、置きっぱの自転車の回収と買い物場所との最大公約数的ルートを検討しているため、他人の話に耳を貸す余裕のない状態に陥っている。けっきょく両者はマスイで合流する手はずだったのが、「自転車のカギは昨夜着ていたジャケットのポケットだった」というありがちな失態のために、「プロの食材の店」なるスーパーが合流地点と定まった。
学長は、心なしか急ぎ足だった。沖縄から来た筆者の挑戦におののいているのか。「オレに付いて来られるかな、ふははは」的勇み足なのか。はたまた、これから始まるジャムに、はやる心を抑えきれないのか。と思っていると、どうやらその「マスイ」の閉店時間が迫っているらしいのだ。まるで、仕事と家事を両立させていることを矜恃とするため、夕食の準備に要する時間を思い描きながら買い物を手早く済ませる一家の母のようだ。美しい。
「マスイ」は、果たして、商店街の一角にある肉屋だった。店頭に到着したその瞬間に、事務局CHOから携帯に電話がかかる。どうやら学長に細かく指示を出しているようだ。「三枚肉はスライス500グラムのほかに、かたまりでも500グラム。あとモツを、ですね」。電話の指示を確認するために、ショーケースを見て指さし確認しながら復唱する学長の声に、筆者と、そして二人の店員が耳を澄ませている。店員の一人は、若い。沖縄でならさしずめ「にーにー」と呼ばれるだろう年頃の、シャギーにカットした頭髪が、肉屋らしからぬ風貌。その隣に、会社なら「専務」と呼ばれそうな顔立ちの、落ち着いた中年の男が控えている。「専務」は、「にーにー」に、三枚肉のスライスの計量を任せて、自身は奥の冷蔵庫から、塊肉を取り出してくる。断面をこちらに見せて差しの入り具合を「このくらいですがよろしいですかね」と確認させた。ふむ。できるな。この男。
そうしているうちにも、「にーにー」に向かって「モツは奥だ、まだ冷凍してないのがあるから」と、業務用の小声でささやく。だが、にーにーのほうは、先客の注文を受けて出来上がった弁当二つを包んで奥から現れた店主夫妻に気を取られたのか、その指示を聞き損ねていた。
「あのー、モツがもうないんッスけど」。
同じ指示を二度言わせるのか。その怒りが、閉店間際の倦怠の時間にやってきた客に対する苛立ちと相まって、普段は冷製な専務の心の闇に作用したに違いない。いつもなら、計量する前からほぼ正確に肉の塊に包丁を入れることの出来る腕が鈍った。二度、包丁を入れて500グラムを切り取る羽目になってしまった。一日をよい気分のままで終えようとするのは、案外と難しいものだなと、専務は独りごちた。かどうかは知らない。
「プロの食材の店」で、肉以外の様々なものを調達する。肉選びに洗練さを見せたあの才覚と打って変わって、化調だの保存料だのに無頓着な、FJたち。この点で「るー大生」は倫理的サブライムを得た。なかでも特筆すべきは、広島名物であり広島独立の象徴とすべきとかれらが主張してやまない「イカの姿フライ」、そして、鍋を計画したら必ず最後に投入すべきものとのオートスイッチが入るらしい辛ラーメンだった。その、辛ラーメンも、同じではないらしい。数種を取りそろえているのは、「○×屋」であり、さっそく二人は、別ルートで会場へ向かうD面氏に電話を入れる。けっきょく一度に鍋に入れてしまえば差異が失われるだろうに、との筆者の懸念をよそに、ふたりはD面氏に、韓流インスタント袋麺のそれらの銘柄について事細かに指示を出した。
イカの姿フライは、どこにでもあるように見えて、世界中で見かけるイカの姿フライの90%は、広島県産である、らしい。プロの食材スーパーで、あのお好み焼きソース界の<帝国>、オタフクのイカの姿フライを発見。「ブランドなんかいらない」ナオミ・クラインに影響されすぎたためか、スターバックスもナイキも無縁といった顔のふたりは、ある種の罪悪感から来る動揺を隠せない。そのとき、救世主が現れた。
その名も「理由あり姿フライクラッシュ」。
せんべい界にありがちな、形状を損ねたものを徳用袋詰め品として売る、あの手法が、イカの姿フライにも導入されていたのである。非オタフク系のそれは、「クラッシュ」をcrushではなくclashと綴ってしまったあたり、インディなだけでなく、非常にパンクなものを目指そうとする意思が感じられる。それは、星形が閃光とともに飛散する様子を描いた袋のデザインにも現れていると言えよう。そんなことをつらつらと考えているところに、学長から「そもそもイカの姿といっても、その姿じたい、人工的に勝手につくったものなのであって、それが壊れているからといって、もとより形などあってないようなものなのに、値段を下げるほどの理由になるのか」との根源的な問いが提出された。おそらくこれから先たとえば、「振興策は、そもそも基地と関係なく、地方公共団体のインフラ整備資金として当然あってよいものを、基地のおかげで得られる特典のように思い込ませ、それが失われることが欠損となる」とまことしやかに論じる際の、非常に有効なレトリックとなるだろう。そして、それに易々と欺されないためのカギは、ロンドン・パンクにある。振興策なんか、イカの姿フライ・クラッシュなんだよ、と底冷えのする広島の空を仰いで、つぶやく、ともなくつぶやいてみた。というより嘯いてみた。
(つづく)