『沖縄にかかわる米軍再編問題の勉強会』
※2006年1月30日、大阪大学にて勉強会を開きました。昨年末に緊急出版された『沖縄は基地を拒絶する』(高文研、2005年)を主なテキストとして、報告者が作成してきたレジュメに沿って進められました。ここでは当日の発表内容をもとに、報告者自身があらためて書き直したものを掲載します。無駄に長くなってしまい、申し訳ありません。お暇な方は、お読みください。
●はじめに●
細かい論点は後述するとして、まず基底にある問題意識を書きしるしたい。
基地「賛成派」/「反対派」、「沖縄人」/「日本人」という対になったカテゴリーを諸個人に当てはめながら、人びとを切り分けていく姿勢が、最近の沖縄社会や沖縄に関係する運動などで特に強まっているように見える。たしかに、そうした言葉で説明したくなるような状況はある。しかし、バラバラに分極化していく現状から出発して〈連帯〉を獲得していくためにではなく、人々のあいだに「憎しみ」の感情を激化させ、より分離した状態の持続が目指されるとき、私たちの現在・未来はいっそう耐え難いものになるだろう。こうした危機感は、何も沖縄に限定されたものではない。沖縄にかかわって起きている出来事を、いちど世界的同時代性のなかにおき直して、考えてみることも有効ではないだろうか。これが、本報告の主なモチーフである。沖縄の基地問題にまつわる困難を、アメリカ主導のグローバリゼーションのもと世界的に多発している様々な「紛争」とパラレルなものとして考えてみる、というものだ。
宗教や民族のなどの指標のもと、人びとが寸断されていく事態が、近年とみに族生している。ネグリ&ハートの指摘によれば、多国籍企業による支配・民衆の管理強化・激烈な貧富の格差などを推し進める〈帝国〉というシステムは、「内部分裂や階層構造によってバラバラになり、さらには恒常的な戦争に苛まれたグローバル秩序」によって支えられているという(幾島幸子訳『マルチチュード(上)』日本放送出版協会、2005年、18頁)。「紛争」自体が〈帝国〉の秩序維持の動力に組み込まれているとするのなら、「紛争」ではなく〈連帯〉こそが、いま求められているのではないか。だが、〈連帯〉と一口で言っても、本当に難しい課題である。世界各地で多発している「紛争」には、それぞれ固有の歴史・動因があるのは揺るぎない事実だ。だからこそ、それぞれの場所に根ざした固有の歴史・現状を繊細に紐解きながら、人びとが〈つながり〉を創りあげていくことが、何よりも〈帝国〉に対する抵抗になる。私は、そう信じている。
では、沖縄に向き合うといったとき、沖縄にかかわって〈つながり〉の生成をめざすとき、何をなすべきなのか。
ひとつは、沖縄の現状を綿密に分析する作業だろう。現在の沖縄が抱える困難は、沖縄社会の通史のみで語るべきではない。というのも、同じようなコート、同じようなチーム編成、同じようなボールを使っていたとしても、サッカーとハンドボールという異なるゲームがあるように、一見すると同じように見える問題でも、内在的なシステムは全く違ったものということがありうるのだ。
基地問題は、沖縄の戦後社会において、一貫した主題ではある。だが、体制が強いてくるルールは、すでに別のものであるかもしれない。そのとき、同質のルール(あるいは条件)を前提にする通史だけでは、私たちを縛る結び目を解ききれないおそれがある。ルールをきっちりと分析することを通して闘いの構想を練ることで、物理的な力関係ではどれほど小さい存在であろうとも、圧倒的な流れを停止させ、チョロまかして転覆することは可能ではないか。
沖縄の「いま」に立脚した抵抗を描くこと。そのためには、具体的に私たちの間に刻まれている分断や抑圧を忘却しないこと、また他なる「敵」をつくって団子になり問題に直面することから逃避しないこと。この二つの軸は、とりあえず重要になってくると思う。
以下の論点は、ここまでに書いた問題意識を前提として提示されている。
●論点の提示●
@議論の場所を問う
A「県外移設論」について
@議論の場所を問う
日本国家という共通の枠組みのもと、重なり合いながらも異なったロジックによって組織化されている沖縄社会と日本社会。双方を「植民地」/「宗主国」という用語によって分類することは、基本的に有効だと思う。沖縄社会には、日本社会あるいはアメリカ社会の延長線上には位置づけられない、固有の重力圏があるのだ。ある社会に突き刺さる重力をしっかりと把握することは、出発点として大事なことだろう。いかなる闘いであれ、「いま―ここ」から立ち上がらねばならない。
では、現在の反基地闘争は、各社会の「いま」に内在しつつ基地・軍隊を廃絶する方向性へと肉付けされているだろうか。新しい基地建設に反対することが、人々がバラバラに細分化されている関係性の批判へと転成しているか。さらに、こうした関係性を物理的に支えている社会構造の変革に届いているだろうか。「議論の場所」というとき、ひとまず上記の事柄を携えておく。その上で、問うてみたい。日本社会において、驚くほど沖縄の基地問題は取り上げられないのは何故か。
沖縄社会でこれほどまでに深刻な課題となっているにもかかわらず、日本社会では風がほとんど吹かない、というのが現状だろうか(だからこそ沖縄社会ではもちろんのこと、日本社会において辺野古への基地建設反対運動を闘う人びとは、本当に重要である)。その事実は、単に日本社会が沖縄を無視しているというだけではなく、基地問題自体を社会化していないことに基づいている。言い換えれば、沖縄に対する差別意識を唯一の根拠として沖縄の基地問題に関心がないのではなく、足元の軍隊に対してさえも無関心なのではないか。沖縄社会での議論と日本社会での議論がうまく噛み合わないのは、目の前にある基地の大小という事実性にのみ還元される問題ではなく、社会の問題意識を共有するあり方自体にズレが生じているのではないか。横須賀で米兵によって女性が殺害された事件を見て、あらためてそう思った。もちろん、たまには新聞やテレビなどで取り上げられることもあるが、大抵のものが「米軍再編」を前提とした上で基地・軍隊自体を肯定する論調が多いのも、軍隊に対する問題意識の低さに関連しているだろう。
要するに、「軍隊に抑圧される私たち」を想像できず、軍隊(米軍・自衛隊)が「私たちを守る」という言葉が信じられている。その背景には、北朝鮮や中国、「テロ」に対する排外意識があるし、「基地問題」を「沖縄問題」へと特殊化する視点の問題もあるだろう。「沖縄問題」へと囲い込む認識は、沖縄と自らのかかわりを問わず、ともに悩みうる存在として見ることができない危険性に充ちている。沖縄社会と日本社会に横たわるズレを乗り越えていくには、軍隊というものが民衆に根底的に敵対するものであることから説き起こさなければならないだろう。ただし、留意したいことがある。日本社会における無関心が、差別意識のみに還元できないという事実は、沖縄を特殊化する「差別」そのものの緩和を意味するわけでは全くないことに注意したい。
一方、基地に反対する立場においてはどうか。
沖縄の基地問題を批判的に語る場所では、たいてい「日本人よ〜」と語りかける「沖縄人」、あるいは「日本人」と名乗り「沖縄人」に対面する人物が登場する。『沖縄は基地を拒絶する』(以下、『沖縄は〜』と略す)のなかでも、多くの論者がそうだし、私の少ない経験においても実感することができる。『沖縄は〜』の帯文を見てビックリしたが、「沖縄人でない」とあえて自称する人も、勝手に「沖縄人」にされていた。この断片からも知れるように、おおむね「沖縄人」を自称する人びとの発言が好まれるようだ。
こうした持て囃し現象からは、「沖縄人」は「基地反対」さえ言えば中身は何でもいいという態度が透かし見える。資本主義に対して無批判であったり、軍隊自体を別に問題視していなくても、基地に反対しているから、「日本人」を問いただすから、何となく使えるという立場で「沖縄人」の発言を取り上げてはいないだろうか。
しかし、「沖縄人」の重宝は、「沖縄人」の特殊化の裏返しではないだろうか。「沖縄人」として自己を示しながら何を語っているのかが評価されるのではなく、「沖縄人」というレッテルが重視されているとの疑いが頭をよぎる。だからこそ沖縄からの声は、他でもない「沖縄人」のものでなければ都合が悪いのではないだろうか。
総じて、「沖縄人」と「日本人」に人びとを振り分けた上で、その区分を反復するのが沖縄社会と日本社会の双方で受けているようだ(そうでない場合は、政治家のように具体的な情況としての非対称性そのものを隠蔽する)。結局のところ、沖縄を特殊化する姿勢だけは、基地問題に無関心な層と微塵も変わらない。つまり、沖縄の基地問題を「沖縄問題」に封印して問題を浅くとらえ、沖縄と地続きである日本社会の課題をもうち捨てること。また、「沖縄人」を「ネイティヴ・インフォーマント(現地情報提供者)」に、「日本人」を「情報解釈者」に分割する非対称な関係性を維持すること。いま沖縄を語ろうとするとき、このような流れから抜け出しながら行う必要がある。分極化を認識し批判することは、カテゴリーを反復することと同じではない。
このとき注意すべきは、日本社会だけを切り離して批判しても足りないという点だ。沖縄と日本のもたれ合いの構図において、困難が進行しているのだ。もちろん、私が言いたいのは、どっちもアカンという相対主義ではない。もたれ合う関係性において分断状況が深まっているのなら、双方が「分離」して改良を加えてやり過ごすというわけにはいかない、ということである。各々の場所に根ざした抵抗を生み出しながら、基地をはね返しきれない分断状況の変革こそが求められているのだ。分断やもたれ合いを生産する地盤にまで、闘いの触手を伸ばすべきだろう。おそらく、いまの関係性を構造化する物理的な領域への批判も必要となってくるに違いない(資本主義批判なども)。反基地闘争は、基地占有面積や物理的な被害だけにはとどまらない、より根源的な闘いである。
A「県外移設論」(在沖米軍基地を日本や米国を中心とする沖縄の外に移設することを求める議論)について
政治家から学者、さらには一般の人々にまで広範に普及しているように見える「県外移設論」。沖縄社会において、たとえば新聞などを見るかぎり、社説から読者投稿の琉歌にいたるまで、大きく「県外移設論」に傾いている。私見によると、2004年8月に起きたヘリ墜落以降、急激に膨れ上がった印象である。沖縄のきびしい状況への突破口を、「県外移設」といった国家や軍隊そのものを問わない意見に傾斜していく姿は、「復帰運動」と二重写しに見えるものがある。「県外移設」という話は、いま沖縄社会と沖縄にかかわるせまい運動の範囲で「パニック」のように広まっているのではないだろうか。「県外移設論」を沖縄社会における「モラル・パニック」の一つとして見ても、あながち間違いではないだろう。
ひとつ具体的な数字を挙げてみたい。昨年11月に行われた琉球新報と沖縄テレビの合同調査によると、「普天間基地をどうすべきか」との質問への有権者の答えは、次のようなものであった。県外(「本土」の意味)移設27.4%、国外移設29.4%、無条件返還28.4%、沿岸案支持7%、「SACO合意」の堅持(いわゆる従来案)5.6%(琉球新報2005年11月4日)。この結果をみても、「県外移設論」がもっとも広がりをもつ意見であることが明らかである。
ここでは、「県外移設論」を批判的に検討してみたい。まず、「県外移設論」の論拠・メンタリティを大まかに腑分けしておく。
・「県外移設」の論拠・メンタリティ
一、軍隊や基地は必要だが、沖縄の「負担」が多すぎる。
二、あまりに見通しの立たぬ現状に耐えかねて、国家が承認しそうな暫定的措置を。
三、「日本(人)」に法(=安保)による「痛み」の「平等負担」を。
四、「日本(人)・アメリカ(人)」こそが基地問題を解決すべきである。
実際には、それぞれが複雑に絡み合って主張されているだろうが、以下では個別に考えることにする。
「一」について
稲嶺知事がはっきり言うように、安保を認める立場の人が、これ以上の基地強化に反対する論拠。保守による沖縄の現状批判とも言える。国家と軍事力の解体をめざす見地からすれば、まったく相容れないものである。「負担」という言葉も、安保体制を前提にすることで出てきているのだろう。近頃よく使われる「負担軽減」という言い方は、とても危険である。「負担軽減」ではなく、「基地撤去、軍隊解散」と叫びたいところ……。
「二」について
軍隊も要らない。何処かに基地が出来てほしいわけでもない。でも、あまりの諦念ゆえに、日本やアメリカなどの国家が承認してくれそうな代案を出している。論証はできないが、このメンタリティが一番多いのではないだろうか。主観的には日本やアメリカに対する批判が含まれているかもしれないが、結局のところ、国家に絡めとられていくのではないか。
「三」について
日本社会と沖縄社会が、まったく非対称に固定されていること。それが「日本人」による「沖縄人」への差別として可視化されるということ。この関係性が、「沖縄社会の人々=沖縄人」、「日本社会の人々=日本人」という硬直した視点を経由して、「沖縄人」が味わってきた「痛み」を「日本人」も受けることを求めるメンタリティに結びついている。この視点だと、沖縄社会に暮らす「沖縄人」以外の人びと、日本社会に暮らす「日本人」以外の人びとは、あらかじめ議論のテーブルから締め出されてしまう。既存の分断状況の繰り返しではないか。
また、「平等負担」というニュアンスには、沖縄の基地問題を「日本国内」の「格差」に還元してとらえる、「復帰後」という時代の陥穽があるように思われる。つまり、沖縄社会を、日本社会の延長線上に回収しているのだ。これだと、沖縄社会において基地や軍隊がどのように突き刺さっており、沖縄の現状からいかにはね返すかが全く議論できない。たしかに基地問題は、沖縄社会が自発的に形成したものでは決してない。だが、外部から強制されたものが、固有の運動形態をもった沖縄社会において、どのように関係しているのかは問われねばならないだろう。基地問題と振興策の絡まり合いなど、「沖縄から」という視点が不可欠であるはずだ。
ところで、「平等負担」という論理は、沖縄社会における「日本人」への「憎しみ」を基礎にしているようにも思われる。ある意味、「日本人」への遠慮を破るという形で「やりかえし」的なニュアンスもあろう。だが、抑圧/被抑圧という関係性の変成が、「痛み」の伝達という形の「やりかえし」であっていいのだろうか。変革とは、個人間・集団間の利益調整に閉じるべきではなく、人びとの間に打ち立てられた関係性と、それを構造化する物質的な領域に向かうべきではないのか。さらに、指摘したい。「やりかえし」が軍事基地という、国家を根拠とする存在によって代行されていいのかという疑問がある。「犯罪」の被害者が、「重罪」や「死刑」を求める議論と同型の危険性を感じるのだ。
いま「犯罪」を比喩として用いたが、これにも再考の余地があるだろう。沖縄の植民地的状況を「犯罪」の比喩でとらえてみることは、一見すると妥当なように思える。ただし、あくまでも比喩であることに注意したい。それは、沖縄の植民地状況を「犯罪」未満として、軽く見積もることとは決定的に異なる。植民地関係によってもたらされた抑圧を、「犯罪」の概念に当てはめることで問題がずれないか、ということなのだ。何よりも「犯罪」とは、「個人」という範疇を前提にせざるをえないカテゴリーであるからだ。
植民地状況を「犯罪」の視点から追及することは、もちろん重要である。たとえば2000年12月に行われた、アジア・太平洋戦争中の日本軍による性奴隷制を裁いた「女性国際戦犯法廷」を想起したい。そこでは性奴隷制度にたいするヒロヒトたち個人の責任が問われた。「犯罪」といったとき、「事件」を認定し、被害者と加害者が誰であるかという人格(国家という抽象的な主体もありうる)の特定は不可欠である。このとき、ひとつの「事件」について、ある人物が加害者と被害者の立場を同時にとることは不可能である。ヒロヒトは、自らが政策決定過程に参加したことにおいて「有罪」とされ、責任が問われたのだ。
一方、「犯罪」とは別の形で植民地状況を考えた場合は、どうだろうか。その際、もっとも大切にしたい焦点は、人々が抑圧も受けながらも、他者/自己が苦しむことに無縁ではいられない境域である。〈加害者=被害者〉とでも言えようか。
ここで、米兵について考察したい。彼/彼女たちは、明らかに沖縄にあって住民たちに銃を向ける存在であり、加害者に他ならない。だが、彼/彼女たちが、使い捨ての兵士であるということ、その多くがマイノリティや貧しきもの、市民権を得ようとする移民たちであることにおいて、〈加害者〉であると同時に〈被害者〉でもありうるのだ。こうした〈加害者=被害者〉という部分は、植民地状況を「犯罪」に収斂して考えても取り出せないと思う。住民たちに危害を加えたとき、あるいは軍隊に所属していること自体によって米兵たちが加害者であることは揺るがない。だからこそ、個別の「事件」としての犯罪や「兵士になること」は、ただちに廃絶する必要がある。
もうひとつの具体的な事例について。それは、「沖縄も加害者」というフレーズである。基底には、「沖縄で生きることは、イラクに対して加害者、日本に対して被害者」という階層構造が想定されているだろう。繰り返しになるが、これも抑圧状況を「犯罪」の概念でのみとらえている。ひとつの状況に対して、加害者であるか被害者であるかの特定が前提になっているからだ。
沖縄に生きることが、イラクに対する〈加害者〉だというとき、あくまでも〈加害者=被害者〉というレベルにおいてである。軍隊にいるわけでも、イラク攻撃を求めたわけでも、ましてや基地の存在に合意したわけでもない。にもかかわらず、イラクの困難な状況から切り離されて生きてもいない、この地点だ。この地点から見た場合、「日本(人)は沖縄に対して加害者である」という言葉にも慎重であるべきだと思う。
「犯罪」の範疇において上記の言葉を理解するかぎり、「日本(人)」を基地問題について絶対的な「加害者」として、被傷性をまったく認めないことに接近してしまう。ここに、「日本人」を「平和ボケ」などと揶揄する根拠もあろう。そして、「県外移設でわからせよう」といった論理も登場するのかもしれない。しかし、いまの日本社会を「平和」と信じることにいかなる批評性があるのか。沖縄の困難を言おうとすればするほど、日本を意地でも「平和」にしなければならない構図にはまり込む。これでは運動が閉塞していく他ないのではないか。
自らを問うことが「個人」の責任に短縮せずに、社会そのものを問うことに接続すること。「犯罪」には収斂しない〈加害者=被害者〉という境域からは、このような問いを見つけることが可能だろう。
「四」について
この論拠の最大の問題点は、いくら言葉を厳しくしようとも陳情のロジックから一歩も踏み出さないことにある。「やってください」から「やりなさい」に変わっただけ。これだと「沖縄人」とされる人びと、あるいは「沖縄人」如何に係わらず沖縄を生きる人びとが、基地撤去とともに軍隊を廃絶していく作業は、可能性すら議論されることがない。むしろ軍隊の存在自体を、沖縄から積極的に問い返していくことへの禁止に近接しているのではないか。この禁止に縛られている状態は、アメリカ主導の軍事体制を維持し、世界を統治しようとする趨勢にとって好都合なものに違いない。
「沖縄(人)」には基地撤去・軍隊解体が不可能だとした上で、「日本(人)」が基地問題を解決する存在として登場するとき、「沖縄(人)」の代行をすることにしかならない。このような「力」の階層構造を固定することこそが、植民地主義的な関係性と呼べるのではないだろうか。
こうした陥穽の背後には、〈連帯〉への拒否感があるだろう。「復帰」しても状況がまったく変わらないことへの苛立ちから、「沖縄人」/「日本人」という分断状況が広まったという説明が成り立つかもしれない。しかし、〈連帯〉とはそもそも、ある共通性を前提として紡がれるものではないはずだ。非対称に分極化してしまった現状から、いかに個々の政治的課題に向き合い、同時に人びとの関係性をも変革していくのかが、〈連帯〉において希求すべきことではなかったか。〈連帯〉を批判的に編み直していくのではなく、始めから打ち捨てることは、分断状況を糧に肥大化する〈帝国〉の潮流に引き込まれる危うさがある。
・「県外移設論」の整理
「県外移設論」について、四つに腑分けして議論してきた。全体的にみて、「基地はもうたくさん」という切実な衝動が、「日本人」という対象への情動に吸収されたりしながら、国家や軍隊といった存在の批判にだけは決してたどり着かないのである。
私は、このような体制内に帰着する打開策が一気に拡大する事態には、批判的にならざるをえない。体制を変えない/変えることができないという場所から基地問題に取り組むことが、どう考えても信じられないからだ。
●おわりに●
沖縄の基地問題に向き合うということは、占有面積や兵員の数を減らすといった「改良」、あるいは「日本国内」における「格差是正」に閉じる問題ではない。軍事力の存在が統治権力を維持・強化させる状況への、根本的な批判にたどり着くものなのだ。
沖縄の植民地的状況を根っこから変成させること。それはフェンスに囲まれた部分だけの問題ではない。「沖縄人」/「日本人」という形において最もハッキリするような、人びとが分極化していく関係性の変容。さらには、そうした関係性を再生産していくような物質的な領域への批判。基地問題とは、こうした一連の問いの渦に投げ込んだ上で、向き合うべき課題ではないだろうか。
大仰に聞こえるかもしれない。また、自分自身も取っ掛かりを掴んでいるわけでもない。だが、国家批判、資本主義批判、軍隊批判といった巨大なテーマを、沖縄に沿って、沖縄にかかわることを通して追求したい。無謀かもしれないが、これから着手しようと思う。
付記
※今回の勉強会は、とくに変わったところもない、まったく普通のものでした。ただ、次のことは覚えておきたいと思います。2006年1月30日という日付のことです。
この日、大阪市は「全国都市緑化おおさかフェア」と「世界バラ会議」に向けた「公園整備」を理由に、西区・靭公園(約20軒)と中央区・大阪城公園(5軒)にテントを建てて生活している野宿者を強制的に排除した(無駄な公共事業の典型。おまけにテントは工事現場から離れた場所にあった!!)。野宿者のほとんどは、空き缶集めなどの都市雑業を営んでいる人々である。彼/彼女たちは、公園から排除されることによって居住空間が奪われるだけではなく、ギリギリの収入を得る糧さえも脅かされるのだ(ただ、野宿者の労働状況に光を当てることは、仕事をしていない野宿者の権利を軽視するものでは決してない)。大阪では毎年200人もの人たちが路上死を余儀なくされている。にもかかわらず真冬のさなか、大阪市は野宿者からテントを奪い、路上へと放り出した。積極的に死に追いやっているとしか思えぬやり方である。生存権さえも認めないような行政。この姿が、紛れもない現在の大阪なのだ。筆者自身、現場に居合わせたものとして、可能な限りの証言を試みたい。
朝8時前に靭公園に到着したとき、まず圧倒されたのが周囲に張り巡らされたフェンスであった。公園を外部から分断・隠蔽するためのものだ。その執拗さ、不気味さにおいて、まさに沖縄の基地、あるいはパレスチナのアパルトヘイト壁と比較しても何ら誤りではないだろう。どこにでもある公園が、一夜にして「収容所」と変化したのだ。
当日の主要な闘いの場は、数日前に建てられた団結小屋であった。当事者と支援者たち約50名ほどがスクラムを組み、テントを守ろうと体を張って闘った。その小屋の周囲を、合計すると500人以上にもなるだろうか、市職員・ガードマンと警察(警官・機動隊・公安)が取り囲んだ。そして、胸が痛くなるような事柄だが、私たちと前線で対峙する警備員たちは、一様に高齢者ばかりなのだ。大阪市の輩は、後ろのほうで高みの見物といった風情であった。このあたりは、辺野古の現場で、対立したくもない人々同士が対峙している情景を思い出したりもした。
市職員は抵抗する私たちを実力で排除した後、テントをメチャクチャに破壊し、そこで暮らしていた人々が大切にしていた生活道具を、まるでゴミでも扱うかのように地面に投げ捨て侮辱の限りをつくしていた。マスコミ報道では、とりわけ前日の夜、当事者の一人が市職員に怪我を負わせたことが強調されていた。だが、もみ合いの過程でひとりが倒れ、セメントで頭を打ち救急車で運ばれていったこともあったのだ。私は目の前でそれを目撃した。ほかにも2名が救急車で運ばれている。
夕方、勉強会を終えて現場に戻ってみたとき、公園から追い出されたおじさんが、昨日までの生活拠点をフェンス越しに覗きみながら悔し涙を流していたことが忘れられない。
あの権力の暴力行為は一体、何だったのか。なぜ、あそこまで執拗かつ徹底的なのか。いま「執拗」という言葉を用いたが、次の事実に触れると、心の底からそう思われるのだ。
強制代執行によって路上に放り出された人々が、仮住まいできるようにと、支援者たちが大阪市内の別の公園にテントを張っていた。当日、大阪市は人間が生存するための最低限の行動さえ押し潰しにかかった。結局、代理のテントまで撤去されたのだ。翌日、また他の公園だが、新たなテントを撤去しようと職員たちがトラックに乗り、大挙してやってきたという。職員たちもやっていて愚かしいと考えないのだろうか。
このあまりにも強権的なやり方を、貧富の格差を推進し、人々を「自己責任」のもとへ追い込むネオリベラリズム下の出来事として見直したとき、沖縄の「基地問題」と内在的な関係にあることが見えてくる。両者を同時に眼差しながら、いかに状況を切り開くのか。この課題を、今後考えていく必要がある。
現在もっとも緊張が高まっている韓国・平澤(「米軍再編」によって基地拡張が予定されている場所)では、現場をフェンスで囲い込んだ上で暴力的に抵抗者を排除するという、この大阪市の出来事と全く同じことが行なわれている。平澤の困難が「米軍再編」によって引き起こされていることを考えると、大阪市の公園や平澤のことが、明日の沖縄のように見えてくる。思想的にも、運動における戦術面でも、野宿者排除の問題は今回の勉強会と無縁ではなかっただろう。
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