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圧縮された報道、事実の前後の時間

 1月27日の報道で、県内2紙は、開廷中にも関わらず強行された工事をメインに伝えた。(記事は高江のblogからリンクをたどってみて下さい。Web版へのリンクと印刷版の記事画像の両方を見ることができる。)法廷での出来事は工事に関連した話題のように扱われているし、新報はWeb版では裁判報道そのものを省略してしまった。Webなんだから「紙幅」を理由にはできないだろう。ヘンだ。また、タイムスについては、報道内容にちょっと違和感がある。「国側はこの日、裁判所から求められていた被告らの具体的な妨害行為を指摘した書面を陳述し、「主張は以上」とした。」と記事にはあるけど、書面が出されたと裁判長によって確認されただけで、国側はとくに、法廷で書面について発言したわけではない。この裁判、管見の限りで、国側は、口頭弁論の場で(つまり傍聴席や報道も含めた公開の場で)イニシアティブを持って発言したことがない。訴えた側にもかかわらず、である。また、住民側の弁護団や裁判長からの問いかけに、責任ある応答をその場で出したこともない。当たり前だろう。発言するのは「代理人」という名の法務局(たぶん)の人間だし、「国」は当事者だが、「本人」と言えるようなヒトの姿をしていない。代理人の後ろにはぞろぞろと毎回、何十人も黒スーツの防衛局員が控えて座っているだけだ。「責任者」はだれだか判らないし、発言もしないし、代理人に対してその場で何か囁くような仕草も見たことがない。(この人たち全員が仕事として税金から給料を払われていると思うとイラっと来る。住民側はもちろんジバラとカンパだし裁判に時間を取られている間、仕事が出来ないのだから。これこそがまさに、SLAPP訴訟を画に描いたような構図ではないだろうか)。
 テレビではQABがしっかりと報道したことが多くのサイトでも言及されている。ただし、その重要なキャスターのコメントがWeb版でカットされたという指摘でもちきり、という残念な結果。車で片道3時間の高江と那覇、同時に両方に記者を派遣できた社は少なかったと思う。たしかに、ゆんたく高江のblogが書いているように、現場の空気を感じないと判らないことがある、ということだろうけれど。それにしても、報道が伝える「事実」というのは圧縮されて都合良く刈り込まれている。Webサイトで確認できるQABの報道内容では「この一報が那覇で裁判を傍聴していた住民たちの耳に入ると法廷内が一時騒然となりました」とあるけれど、これも大いに省略されてしまったとの印象だ。
 以下、傍聴したときのノートから書き起こしてみた。

住民側弁護団:最後に一言申し上げたい。裁判を無視して、現場では工事が強行されている。少なくとも判決が出るまで工事はやるべきではない。かつて沖縄の土地は米軍によって銃剣とブルドーザで強制的に接収された。それと同じことを現在、国が私たちに対してやっている。ただちに中止すべきだ。
住民側弁護団:たった今入った連絡だが、今、まさに工事が強行されているそうだ。断じて許せない。裁判を起こしたのはそちらなのだから、裁判のテーブルにきちんとついて、裁判で争うべき。
裁判長:少なくとも、3月から6月までの営巣期間に工事はしないというのは、これは確認できますね。
国側代理人:確認、と言いますと・・・?それはこの場では回答できません。その点につきましては、では裁判所に対して後ほど報告するということで・・・。
(傍聴席騒然)
裁判長:静かにして下さい!

工事強行の一報が耳に入ったとき、それは住民側の弁護士が、猛然と抗議を行っていた最中のことだった。驚き呆れる声が漏れていたかもしれないが、傍聴席は決然と抗議する弁護団の姿を、固唾をのんで見守っていたのだ。
 実は、これには理由がある。この日は開廷早々、裁判長から「前回期日(2010年12月1日)以降に起こった経緯を考えると、傍聴席からも発言したいことはあるでしょうが、今日は大事な確認が多いので静粛に願います」と、一言、釘を刺されていた(つまり、それほどこの裁判長は傍聴席の「発言」にも傾聴する人であることの証だが)。それで、普段は饒舌な(^_^)傍聴席も、この日はけっこう大人しくしていたという背景がある。
 語の正確な意味において傍聴席が騒然となったのは、だから、むしろ、その後。工事強行の話を受けた裁判長は、少なくとも3月から6月は工事がないのだから、それまでの残りの2月を、どう考えるのか、と問おうとしていた、と思う。その文脈で「少なくとも3月から6月は工事はないのでしょう?」と問われたときの、国側代理人の回答の、その無責任さに対して、傍聴席は大いに騒然となったのだ。
 この裁判は、国側が「妨害行為」というものに限定して、座り込みの直接行動を法廷に持ち込んだものだ。もちろん、住民と支援する人びとは、意味もなく道ばたに座り込んでいるのではない。そこには米海兵隊のオスプレイバッド建設に対する反対の意見があり、山や海をこれ以上破壊してはならないという自然環境保護のジンブンがあり、それなのにいまだに「SACOで沖縄の負担軽減」などと繰り返してはばからない国側の沢山の嘘があり、遠く離れた小さな集落に嫌だというものを何年もかけて押しつけるやり方があり、金をちらつかせて反対する地元を分断する汚さがあり、事実として減らない基地被害があり、住民の立場から米軍と対峙することのない防衛局の態度があり、沖縄という場所になぜこれ以上の軍事基地の重圧を押しつけるのかという怒りがあり、基地を沖縄に集約させるに至った経緯として次々と暴露されつつある過去の密約があり、無辜の市民を殺す米軍の訓練に土地を提供していること、それに反対しないことは、沈黙による共謀に他ならないとの理解があり、戦争の惨禍の記憶がまざまざと今でも消えることのない沖縄の人びとの、次の世代にまで同じ過ちを背負わせたくないとの思いがある。簡単には書ききれない思いを背負って、それぞれに座り込んでいる。それらを切り縮めて、「妨害」と裁判所に認定させようとしているのが、この裁判だ。
 前回期日、そして今回も繰り返された裁判長の指摘として、興味深いのは、「行為」の証拠として出された写真は、一瞬を切り取ったものにすぎず、もちろん、その前後の時間というものがあるだろう、という点だ。「事実認定は必要」との立場に執着する点で疑問(そもそもSLAPPなのだから、審理を係属すること自体が暴力、即時棄却すべき)とはいえ、この指摘そのものが、「事実」を刈り込もうとする国側の主張に対する批判となっていることは見逃さないでおこう。
 圧縮され切り取られた「事実」は「真実」の全体像ではない。傍聴ノートには裁判長の最後の発言として、「ここまで言うつもりではなかったのだが、抗議行動についてまで出すのは行き過ぎ。原告には考えてもらいたいと思っている。」とのメモが残っている。確かに裁判長は「ここまで言うつもりはなかった」「考えてもらいたい」と発言したと思う。報道が「事実」を抽出するあまり削ぎ落としてしまうのは、こうした細部だ。
 事実には前後の時間というものがある。座り込む人たちには、深い過去の時間と、長い未来の時間という根拠がある。