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<ことばの杖>プロジェクト

市民の弾圧に合意してない声明と併せて思いつきで追加した企画、「代用監獄で読みたい名著・名言」、いくつかいただいていますので、順次追加しながらご紹介していきます。(追加しました。7月19日11:00追加)

 人間を不正に牢獄に閉じ込めるような政府の下では正義の人がいるべき場所もまた牢獄である。ヘンリー・ソロー「市民の不服従」(1849)。

 公民的(civique)不服従であって、市民的(civile)不服従ではない–––対応する英語の表現をあわてて書き替えることによって、信じこまされているように。実際、問題はたんに権威に反対する個人ではない。むしろ問題は、重大事態に際して、国家への「不服従」を公然と率先して行うことによって、市民権をつくり直すような市民である。エティエンヌ・バリバール『市民権の哲学:民主主義における文化と政治』(2000)。

 しかし、近代の社会運動、政治運動、そして国民運動を振り返ってみれば、反乱と権利の緊密なつながりはいわば当たり前のことがらにも思える。反乱は権利を要求して発生するのであり、権利の要求により、他の形態の暴力から自身を区別するのである。暴動は情況や出来事に対する反応である。飢え、当局の介入、ときには噂がその引き金になる。それを鎮圧する暴力は、権力を賭け金とする計算された作戦である。これに対し、反乱の本質的要素は権利を主張する言葉であり、それはこの権利が否定されている民の名において発せられる。ジャック・ランシエール Le Monde(1992年)。

 私は、共同体が喪失と傷つきやすさの状態に留まることを学ぶことができれば、全く異なった政治が現れるのではと考えています。その共同体は、何が自身と他者を結びつけているのかを、よりよく理解することになるでしょう。そして、自身がどれだけ強く他者との相互関係性に依存しているかを知ることになるでしょう。私はこれこそが実際に私たちを、正義というものの多面的かつ国際的な理解へと導くと、もしくは少なくとも導くことが出来る可能性があると考えています。ジュディス・バトラー「平和とは戦争への恐ろしいまでの満足感に対する抵抗である」『現代思想』vol.34-12(2006年10月)。

 祖国は私を放り出し、メスティサとしての私には故郷がない。しかしすべての国は私のものだ。なぜなら私はすべての女性の姉妹であり、いつでもなりえる恋人なのだから。レズビアンとしての私は人種を持たず、私と同じ人種の人々は私を拒絶する。しかし私はすべての人種である。なぜなら私のようなクィアはすべての人種にいるのだから。私は練り上げる、結合する、参加する行為である。グロリア・アンサルドゥア Borderlands/ La Frontera (1987).


太宰治「懶惰の歌留多」(昭和14年)(新潮文庫『新樹の言葉』所収) 内容) い、生くることにも心せき、感ずることも急がるる。 ろ、牢屋は暗い。     は、・・・に、・・・よ、夜の次には、朝が来る。  等々です。
「言葉の杖」とは、もしかして李良枝さんでしょうか? 李良枝さんは、わたくしの小・中・高の先輩にあたります(高校は中退・編入)。 獄中で読みたいのは、金子ふみ子『何が私をこうさせたか』と『美味しんぼ』ですかねー。。
獄中のお供に ハキム・ベイの『T.A.Z.  一時的自立ゾーン』、おすすめします。
鈴木道彦,『越境の時——1960年代と在日』,集英社新書,2007年 ずいぶん話題になった本だから,またですか感もあるかもしれませんが,この名著を代用監獄で読む!なんていうぜいたくも,経験してみたいようなみたくないような……
080630_0638~0001.jpg言葉の杖は右画像の、とあるトイレに貼ってある、出だしから誤字のことば。

以前、友人に差し入れた(で、喜ばれた)本 横山やすし『ワイが横山や』 ゾラ・ニール・ハーストン『騾馬と人』
ムミア・アブ=ジャマール『死の影の谷間から』(今井恭平訳、現代人文社、2001)。
もしも代用監獄に入れられたら、M・フーコーの『監獄の誕生』を読み直したいです…
「代用監獄で読む本」についてですが、すぐに思いつくのは、数種の外国語翻訳があることも考えて、『魯迅選集』と『フランツ・ファノン著作集』と『太白山脈』です。どれも歴史に囚われた者たちの解放の希求を伝えて比類がないと思います。
代用監獄で読みたい名著:「警察国家の再現ねらう 警察拘禁二法」(日本共産党中央委員会出版局) 「救援ノート」(救援連絡センター) 代用監獄で読みたい名言:「不当な逮捕と拘束にただ完黙・非転向を続けていたら、やつらの陰謀が透けて見え、仲間の激励が壁を越えて聞こえてきた」
獄中で読みたいものということでしたら、わたしとしては、金石範『火山島』をおいて他にありません。 監獄、植民地主義、軍事暴力、そしてその渦中にある人間について、獄の中でじっくり考えてみたくもあります。
fumiakiko詩画集、はちどりのひとしずく、センス オブ ワンダー、smile(海の写真集) 。。。(ずれてますか??;)
代用監獄では、ただ耐えるのみの記憶しかありません。(黙秘・・・・・) 1970年当時、留置所で読書は許されませんでした。でも、ヤクザの お兄さんや、こそ泥窃盗犯などと23日間をともにし、<共>の関係 を深く感じたことだけは覚えています。

起訴されて、東京拘置所の移管されてから、独房での
7ヶ月間、1日、15分だけ外の金網の運動場で、体操
するだけ、風呂は週に1度だけ、空を見るのはその機会
だけだったように思います。

その中での楽しみは、読書とラジオが唯一の娯楽でした。仲間の差入れ
の書物のは、大半が読み捨てられた小説・文庫本。
当時、小菅の東京拘置所には、学生が2000人程度が常時いたようで、
独房とはいえ、孤独感はありませんでした。

ときより、ラジオのニュースで、沖縄や三里塚の報道が入ると、拘置所
全体がシュプレヒコール、看守が独房の扉を警防で叩きまくっていました。

さて、獄中でいまも記憶に残る本は、五木寛之の「内灘夫人」です。
当時の私たちにとって、1世代上の闘いにあこがれていたのかも知れません。
金沢・内灘闘争をめぐる恋愛の小説ですが、とても励まされた気持ちでした。
21歳。獄中の思い出でした。



放送禁止歌 (知恵の森文庫)
元刑務官が明かす死刑のすべて (文藝春秋)


●プリーモ・レーヴィ『今でなければいつ』(朝日新聞社)
「もしおれが自分のためにいないなら、おれは何ものなんだ?/もしこうでなければ、どうあればいい?もし今でなければ、いつ立つのか?」(p.176)
「それは一つの言葉だった。メンデルは欲望で頭がくらくらしていたが、その意味が分かった。あんたが欲しいけれど、逆らうの。欲しいからこそ、逆らうの。あんたの下に弱々しく横たわっているけど、私はあんたのものではない。私はだれの女でもない。そして逆らいながら、あんたをとりこにする。メンデルは、リンが 裸なのに武装しているような気がした。ノヴォルショールキの宿舎で初めて見た時のように武装していた。彼女はだれのものでもなく、すべてのものである、それはエリコのラハブと同じだ。」(p.206)

●E・W・サイード『知識人とは何か』(平凡社ライブラリー)
「わたしが使う意味でいう知識人とは、その根底において、けっして調停者でもなければコンセンサス形成者でもなく、批判的センスにすべてを賭ける人間である。つまり、安易な公式見解や規制の紋切り型表現をこばむ人間であり、なかんずく権力の側にある者や伝統の側にある者が語ったり、おこなったりしていることを 検証もなしに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間である。」(p.54)

葉山嘉樹『海に生くる人々』(岩波文庫)
「私たちは勉強しても、船長はおろかボースンにも、なれないだろうと思っているのです。ですから、なおさら、私たちは、今のままで、幾分でもいい条件の下で労働したいと思うのです。私たちには、決して、船主になったり船長になって、富や、権利を、得ようという考えなんぞはないのです。私たちは、普通の労働者と して、普通の人間としての、生活を要求するのです。人間として、船長は労働者よりもより特別なものだとは、われわれは考えません。われわれは、今では、階級と称せられているものは、一つの仕事の分担に、過ぎないものだと思っています。それだのに、今では、ある仕事を分担すると、同時に、人間を冒涜するようにさえなり ます。人間が、人間を虐げ、踏みつけ、搾取することを、えらくなると考えることは、半世紀ばかり前の考えだと、私たちは思っています。私たちは、人類の生活の一部分の貴い分担者として、自分を見ているのです。だが、あなた方は、私たちを資本家と思っている」(p.238)


名言: 第二、第三のベトナムを!(チェ ゲバラ)


ともに遺著ですが、キム・サン(ニム・ウェールズ共著)の『アリランの歌』と尹東
柱の詩集でしょうか。