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卒業論文へのコメントを再掲載して過去のゼミの紹介とします。

阿部ゼミナール2001年度卒業論文について

2002年2月8日
文責:阿部小涼

 文化を奪われた者は、伝統を再発見し、それを防御メカニズムとして、純粋さの象徴として、救済として生きる。しかしながら同時に彼はその媒介物[伝統]が実体化することによって復讐されるという印象を残す。技術進歩とは関係のない古い立場へのこの後退は逆説的である。このようにして価値を与えられた制度は、すでに獲得された精密な行動方法にはもはや対応しないのだ。フランツ・ファノン『アフリカ革命に向けて』

[総評]

 2001年度に提出された卒業論文はテーマや地域、研究対象において多彩である。伊佐由貴は「沖縄系同郷者集団:県内郷友会、本土県人会、ハワイ沖縄県人会に関する考察」と題して、沖縄県に見られる「郷友会」について歴史的・地域的な類型を移民先の関西やハワイにも求めてその実体を分析した。バリをフィールドに採り上げた小池まり子は、まだ草分け的分野である観光人類学を分析手法に用いて「観光のコンテクストにおける伝統文化の再創造とその文化の流用:オランダ植民地時代から1990年代に至るまでのバリの伝統文化を事例として」をまとめた。下田貴実は多文化主義概念がアメリカ合州国のマイノリティの歴史像に与えたインパクトと限界を「アメリカにおける多文化主義の課題:中国系アメリカ人史を通じて」で示した。ハワイの多文化主義を再検討した砂川留美は「ハワイにおける多文化社会の現実:ハワイアン・ルネサンス運動を通して見えてくるもの」と題して先住ハワイアンの視角を採り入れた議論を展開した。比嘉智子は「日系アメリカ人のアメリカ化:強制立ち退き・収容と戦後補償運動を通して」において、日系アメリカ人のレドレス運動を、それに同調しなかった人々の体験と併せて記述した。
 だが、そこには共通して見られる問題関心も看取できよう。それは、表面上は多文化的と見られる社会の枠組みや形成過程を問い直すという問題関心、とまとめることが出来る。例えば、歴史的・環境的変化のなかで凝集力と政治性が問われ続ける同郷者集団の存在(伊佐論文)、伝統文化の創造という近代化論と現地ネイティヴの複雑で抜き差しならない関係(小池論文)、同化主義への批判から生まれたはずの理想主義的な国民統合論が持つ限界(下田論文)、多文化主義の理想を足下から切り崩すかのように見える先住民意識(砂川論文)、レドレス運動によって達成された市民意識が忘却してきたアメリカ化の暗部(比嘉論文)、といった具合である。
 それはとりもなおさず、文化やアイデンティティが、歴史的プロセスのなかで欠くことが出来ない課題であるという、現在の批評理論が到達した認識に基づいている。と同時に、文化やアイデンティティは政治性を抜きにしては語ることが出来ないことを忘れてはならない。
 各人は資料収集という離島の困難を克服すべく多くの文献入手に努めた。この点は評価してよい。資料調査に協力してくださった大学内外の方々に心より感謝したい。
 いっぽう、論文を書くというテクニカルな面では、推論に根拠を与えるための充分なファクトの積み上げ、統計データの整理と分析などが充分に行われないという傾向が挙げられる。これは指導教官としての能力の至らなさを図らずも露呈した結果となった。今後の課題としたい。

[各論文へのコメント]

伊佐由貴「沖縄系同郷者集団:県内郷友会、本土県人会、ハワイ沖縄県人会に関する考察」

 伊佐論文は郷友会の成立と特徴について、3つの類型について具体的事例を提示した。郷友会という題材は身近にありすぎるだけに分析対象として客観的にその輪郭を捉えることは困難である。しかし、その一つの解法として比較類型可能な対象をおいたのは妥当であった。また事例としてあげた諸団体について、終章で横断的に検討し図式に表現した点も充分に評価出来よう。
 直接的な先行研究が乏しいなかでは起こりがちなことであろうが、事実の掘り起こしと記述に焦点が傾く結果として、既存の認識への批判ないし論点の補強という骨太のアーギュメントへと展開出来なかった。このことは、しかし以下の点と併せて今後の課題へとつながるだろう。すなわち、地の利を活かして郷友会の会誌等のドキュメントにあたったことは資料的意義が高く、これからの本格的分析の糧となる。また、県内地域に限定せず、関西・内地・ハワイと柔軟に対象を求めたことは、狭義の郷友会研究という枠にとどまらず、ナショナリズム、アイデンティティ論の探求に接続する可能性を大いに持っている。
 そのナショナリズム論との関連づけで言えば、準備・材料不足の感は否めない。ネイション=国民国家形成への展開ではなく、むしろナショナル・アイデンティティ=エスニシティ意識形成の方向に論を展開するべき素材であっただろう。
 また、共同体形成、共同意識を必要とした環境要因として「なにかしら抑圧された状況」を挙げているが、この点は既に歴史的に明らかにされつつある事実で、そう簡単に片づけられる種類のものではないだろう。むしろ、その抑圧的状況に対し抵抗・克服する過程にも一種のアイデンティティ形成は起こっているのではないだろうか。現在の位置から新しい分析的視点を付け加えるプロセスがあってもよかったかもしれない。

小池まり子「観光のコンテクストにおける伝統文化の再創造とその文化の流用:オランダ植民地時代から1990年代に至るまでのバリの伝統文化を事例として」

 バリ島の文化的伝統と観光との連関について、未だ定着したとは言い難い観光人類学の方法論に基づいて論じた努力作である。先行研究が示した概念定義について、その一つ一つを事例と付き合わせながら丁寧な確認作業が行われている点は好感が持てる。ただし、それぞれの議論の妥当性、恣意性、変質の過程などについて、自身の観点から批判検討がなされているとは言い難い。
 著者も示したように、バリの伝統文化はバリ人による「伝統の再創造」、「流用」、「客体化」などの概念定義を用いて理解できなくもない。しかし、西洋によってまなざされた事例として挙げられたクラウゼ、コバルビアス、シューピースなどの個人名や出版事情に見られる具体性と比較して、バリ人によるバリ化プロセス、あるいは現在的な状況の説明においても、たった一人の個人名も挙げられていないとはどういうことだろうか。西洋人には個人としての名前や業績があるのに対して、バリ人は「バリ人」という集合名称としてしか存在せず具体性に欠けている。その研究姿勢を棚上げして、バリ人による流用という概念が説得力を持ちうるかは疑問である。
 終章は独自に集めた資料に基づいてオリジナルな分析が期待された箇所である。著者自身も体験したバリ観光に対する共感や期待に裏打ちされているといえる。前章までで展開されていた「流用」や「客体化」などの分析枠組みを有効に用いて分析したとはいえない点で残念であった。

下田貴実「アメリカにおける多文化主義の課題:中国系アメリカ人史を通じて」

 中国系アメリカ人の歴史の書き直しを多文化主義に注目して展開したこの論文は、国民統合という文脈において多文化主義を再考するという点で、現在アメリカが抱える非常に重要な課題でもあり、時宜を得た論点を提出したと言える。多文化主義的歴史像を縦糸に、中国系移民のイメージ変化を横糸に、アメリカの国民統合をめぐる問題点を浮き彫りにするという構成はダイナミックで、評価に値する。
 ただし、その掲げたアジェンダの大きさに比して、個々の分析は緻密さを欠いた。例えば、多文化主義を国民統合の理論として定義する部分について、もう少し精緻な分析が欲しかった。多元主義を論じる上で行われた時期区分の典拠やその区分が妥当であるという根拠はなく、また多元主義の類型について、どのような先行研究に基づいて執筆したのかが示されず、それとその後の多文化主義との関連も示されていない。参照した先行研究は、本論のテーマに相応しいものだったどうか疑問が残る。
 ひるがえって、2章以降の中国系移民の歴史像とイメージの変遷の記述は、コアとなる時期を定めてポイントを絞って執筆したことが功を奏した。特に、移民法改定以後の「ダウンタウンチャイニーズ」の労働力が(本当は著者がもっと記述したかったであろう)グローバル経済に組み込まれたインナーシティに分断されているという事実は、多文化主義的「中国系アメリカ人」史が見落として来た論点であり、それはタカキの描く歴史のなかでも充分に論じられていないことが無理なく示されている。欲を言えば、近年の中国系アメリカ人労働者の現状分析には、より多くの統計資料を用いて論拠の具体性・実証性を高める努力が欲しかった。
 とはいえ、オリジナルな調査や論点を提出するのではなく、既存の研究に見られる不足点、限界点を論証するという方法は、学士論文として充分な水準に到達していると言ってよい。

砂川留美「ハワイにおける多文化社会の現実:ハワイアン・ルネサンス運動を通して見えてくるもの」

 「虹の州(Rainbow State)」と言われるハワイにおいて、その多文化主義の実践はどの程度真実であるのかという命題に、ネイティヴ・ハワイアンの視角を批判的に採り入れながら自分なりの回答を引き出した。拝外主義的との批判を受けることも多いトラスクの論文を自分で読み直すことによって、移民史からは理解できなかった別の知見を得たことが、この論文を大いに魅力的にしている。
 トラスクたちのカラフイ・ハワイは「ネイティヴ・ハワイアン」の血統主義(エセンシャリズム)を主張しながらも、国家内国家を目標としている。一方のバージェスは、ネイティヴィティを重視することについて人種主義的(ネイティヴィズム=排斥主義)と捉えてこれを否定しているが、完全独立を主張して、国連先住民問題委員会にこれを持ち込もうとしている。両者の運動の方向性はある種の矛盾を含んでいると考えられるが、その点についての指摘や分析がないのは非常に残念である。そこに肉迫することで、かれらの運動の方向性やその限界を批判的に分析することが可能だったはずだからである。
 文化について意識的に取り組むこと、覚醒すること、主張や実践を行うことと、政治的な意識とは、切り離して考えることが出来るのだろうか。あるいは、切り離して考えることが可能であるという言説「ハワイ文化復興運動は必ずしも、政治活動にのみ関心を示すともかぎらないのである」(16ページ)こそが、ハワイ人の文化運動の政治性を脱色しエンパワメントを失わせる結果となったのではないのか。そのような消費主義的文化運動について、トラスクの批判は向けられていたのではなかったか。そうならば、これを簡単に「ネイティヴィズム」と結論付けることは出来なかっただろう。このような文化運動や概念がもつ政治性について、充分な検討がなされなかったために、著者の結論は二転三転する結果となった。
 長い論文のなかで、主軸となる議論を明確に定め、事例に基づいて論証し、説得的に議論を展開する技巧には不足感が残る。ストラクチャーの考案に多くの時間をかけることが必要であった。

比嘉智子「日系アメリカ人のアメリカ化:強制立ち退き・収容と戦後補償運動を通して」(PSIR卒論賞論文)

 日系アメリカ人の強制収容と戦後のリドレス運動の歴史研究に端を発したこの研究は、そこに忘却された人々の存在を書き込むという作業が追加されたことによって、歴史の書き方への批判をも含み込んだ、豊かな論文となった。先行研究批判にも示されているとおり、日系人史における業績が、政治的なある種の傾向を持っていたことは、近年になってようやく明らかにされ、その再検討を求められている。なかでも第二次大戦中の米国政府による強制立ち退き・収容と人種隔離された部隊への徴兵に反対の立場を取った人々の経験を歴史として語ることは重要な意味を持つ。それは、60年代以降のエスニック・ムーヴメントのなかで起こった日系人史の掘り起こしと、日系人のレドレス運動が決して切り離すことの出来ないプロセスのなかで同時並行的に起こったことであったからだ。
 このような研究史上の欠損であると認識されてきた、収容・徴兵反対者の立場をいち早く日本語で紹介したものとなったこの論文は、先行研究の不足を補う点でも重要な役割を果たした。  現在の視点で過去の歴史を断罪するというのは、批判的論点を提出する際に陥りがちなことである。この論文においては、「人種主義」に対する当時の理解、その後の理解の変化という線が明確ではなく、あたかも共時的な理解として人種主義に対する批判が一貫して存在していたかのように考えることは、同じ日系人の間に起こった経験差を充分に汲み取ることを困難にするだろう。
 対照的に、現在関心が寄せられている「市民権」あるいは「市民性」という観点を採り入れることで、新しい理解枠組みを得る可能性もある。日系人が「忠誠心」と同時に憲法の下の「市民権」を問題にしていたのに対して、米国政府・司法当局は「人種主義」という立場に立っていた。このすれ違いについて、抵抗の戦略として市民権の主張や忠誠心の証明は成功だったのかどうか、この点は現在の視点から充分に再評価・批判してよい部分ではないだろうか。忠誠心という点では、収容・徴兵に同意した側も反対した側もいずれも忠誠心の表現のひとつとしてそれを選択したのだという理解は、それでよいだろうか。そこから得られる結論として、反米・親日派の米国市民は、収容されて当然であったという新たな陥穽が待ちかまえているのではないか。
 いずれにせよ、このような新しい分析の可能性を刺激する素材を採り上げたということは間違いない。www上のデータを積極的に採り入れ、英文資料にも果敢に挑戦した著者の姿勢の賜である。


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Last-modified: Sun, 23 Apr 2023 00:07:31 JST (362d)