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  • はじめに:米軍ヘリ墜落に抗議する宜野湾市民大会の翌日、New York Times紙は、この事件についての記事を国際面に大きく報道した*1。内地の新聞が沖縄の事件を過小評価しているという憤懣も手伝って、このNew York Times紙の報道は無条件に肯定的に歓迎されてしまうのではないか、との危惧があり、大急ぎで翻訳した。ちょっと意味不明な部分もあり、日英文の両方を併記し、参考となるリンクと訳者自身のコメントを含めた註も付したものをここに掲載する。ご意見・ご感想を宜しくお願いします。誤訳は見つかり次第訂正していく予定。日本語訳部分はご自身の責任の下に加除訂正して自由に御利用下さい。
  • 出典:James Brooke, "A Crash, and the Scent of Pizzatocracy, Anger Okinawa," New York Times, September 13, 2004.
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    最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

    • 9段落目に使われている「地域主義」という言葉はどういうニュアンスなんでしょうか。私はこの言葉は、抗議の意味をすりかえているというか、基地の被害をあまりに軽視しているように感じたのですが・・・。 -- 上原こずえ 2004-09-16 (木) 16:17:05
    • 2段落目の”Some shrugged when”ですが、when 以下にあるような大きな事故にも関わらず「しょうがないよね」と肩をすくめる人もあった、というニュアンスだと思うのですが、誰のことを指しているのでしょうね。事情を知る人なら「米兵、軍人」ぐらいしか思いつかないでしょうが、「危険な基地と共生している沖縄の人の中には」と読む読者がいないとも限りません。 -- eh 2004-09-19 (日) 15:31:36
    • 「2段落目」ではなく、「3段落目」でした。6段落目の Chikako Oguma は、オグマ・チサトではなくチカコですね。 -- eh 2004-09-19 (日) 15:42:43  [sad]ご指摘有り難うございます。訂正しました。
    • 10段落目はおかしいですね。何かの思い込みから事実誤認しているようですが、この人いまどこにいるのでしょう? -- eh 2004-09-19 (日) 15:56:21
    • 14段落目の註13にもあるように、フェンスの内側での取材から来る思い込みや事実誤認かも知れません。自衛隊員が「日本に帰れ」と言われたという70年代の話なども聞いて混乱しているのかもしれません。 -- eh 2004-09-19 (日) 16:07:06
    • 16段落目について、註16に紹介されている記事(あるいは同内容の別の記事)を私も読みました。ブルック氏はこのことを知らず、米軍側の言い分だけを聞いて報道していることになりますね。 -- eh 2004-09-19 (日) 16:23:58
    • 註23ですが、これもフェンスの内側での取材で紹介された、とかかも知れませんね。 -- eh 2004-09-19 (日) 16:40:43
    • この記事にこうしてabeさんの丁寧なコメントがつけられてみると、「問題の多い記事だな」というのが良く分かります。どうもありがとうございました。 -- eh 2004-09-19 (日) 16:46:55
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September 13, 2004
GINOWAN JOURNAL
A Crash, and the Scent of Pizzatocracy, Anger Okinawa
By JAMES BROOKE
2004年9月13日
宜野湾ジャーナル
「墜落、そしてピザ支配体制の匂いに怒る沖縄」
ジェームズ・ブルック

 GINOWAN, Okinawa, Sept. 12 - For years, Okinawans have tolerated the deafening thud-thud of United States Marine Corps cargo helicopters over schools, playing fields and apartment buildings near the fence of one of the busiest military airfields of the Western Pacific.
 沖縄県宜野湾市、9月12日付け。もう何年も、沖縄人は耳を劈く騒音に悩まされてきた。フェンスに隣接する*2学校、競技場、アパートの上空を、米国海兵隊のカーゴ・ヘリコプターがバリバリと飛ぶのである。ここには西大平洋のなかでも最も使用頻度の高い軍事飛行場のひとつがある。

 Some shrugged when one helicopter spiraled from the sky on Aug. 13, banging into a university building, its rotor gouging a concrete wall, its fuselage exploding into an orange fireball. Miraculously for this congested city of 90,000, no one was killed, and the only people injured were the three American crew members.
 8月13日、一機のヘリが上空で旋回を始めたとき、肩をすくめてみせた人もあった*3。ヘリは大学の校舎に激突し、ローターがコンクリートの壁をえぐり、胴体が爆発してオレンジ色の火の玉と化した*4。9万人が住む人口密集地で奇跡的に誰も死なず、負傷したのは3名の米国人乗組員のみであった。

 But what really galvanized residents of this sultry tropical island were images of young American marines closing the crash site to Japanese police detectives, local political leaders and diplomats from Tokyo, but waving through pizza-delivery motorcycles.
 だが、このうだるように暑い熱帯の島で住民の怒りに本当に火を付けたのは*5、事故現場から日本の警察、地元政治家、東京から来た外交官を締め出し、その一方でピザ配達のバイクは手招きして中に通した若い米国人海兵隊員の姿であった。

 One month after the crash, that fast-food delivery image - part truth, part urban myth - was strong enough to help to draw about 30,000 people on Sunday for the biggest anti-base protest in Okinawa since those a decade ago protesting the rape of a 12-year-old schoolgirl by three American servicemen.
 墜落の一月後になっても、このファスト・フード配達のイメージ(部分的に真実だが一部は都市の神話になっているのだが)は強烈であり、その結果、日曜日の反基地抗議集会に約3万人の人々が足を運んだ*6。これは、沖縄では、12歳の児童が3名の米兵にレイプされた10年前の事件に対する抗議集会以来の、最大規模のものとなった。

  In the sea of parasols, sun hats, balloons and banners, Chikako Oguma, a high school teacher, sat on the main soccer field of Okinawa International University. She said she had rummaged through her drawers to find an anti-United States protest shirt that she had not worn for years.
 日傘、帽子、風船と横断幕の溢れる沖縄国際大学のサッカー競技場に、高校教師のオグマ・チカコ*7さんも腰掛けていた。彼女はもう何年も着ていなかった反米抗議シャツを、洋服ダンスをかき回して探したと言う。

 "At first when the accident happened, I did not get angry," Ms. Oguma said, shading herself under a parasol. "But then I learned that Japanese police could not enter the area. At that time I felt Okinawa is really occupied by the U.S., that it is not part of Japan."
 「事件が起こった当初は、私は怒りを感じていませんでした」、オグマさんは、日傘を差しながら語った。「でも、日本の警察が現場に入れなかったことが判って、その時に、沖縄は全く日本の一部ではなく、米国に占領されているんだと感じたのです」。

 "Tokyo doesn't care; Mr. Koizumi didn't come," she said, referring to Japan's prime minister, Junichiro Koizumi. "He was too busy last month watching the Olympic Games to see our governor. I feel a gap between Tokyo and here."
 「東京は無関心で、小泉さんも来なかった」彼女は、日本の首相、小泉純一郎についてこう指摘した。「先月、首相はオリンピックを見るのに忙しいからといって、知事に会わなかったのです。私は東京とこことのギャップを感じてしまいました」*8

 Indeed, beneath the overnight surge of anti-American feeling is a surge of regionalism in Japan's southernmost islands, an archipelago known until the 1870's as the independent Kingdom of the Ryukus.
 確かに、にわかに出現した反米感情のうねり*9の背景には、日本の最南端の島の地域主義の高まりがある。この諸島は1870年代までは、独立した琉球王国として知られていたのだ。

  "Go back to Japan," was an insult thrown at soldiers of the Japanese Self-Defense Force, seen as deferring to the Americans running the crash site.
 「日本に帰れ」との怒号が、日本の自衛隊隊員に浴びせられた。事故現場は、そこを仕切っていた米国人にすっかり委ねられているかのようだったのだ。*10

 "The behavior of the soldiers was really shocking," said Kelly Dietz, a Cornell University doctoral candidate in sociology who lives near the base, referring to the Americans. "I saw marines pushing people back, covering news cameras with their caps, pushing cameras down."
 「兵士たちの行動は本当にショックだった」、コーネル大学院で社会学の博士論文を準備中のケリー・ディーツさんは、現在、基地の近所に住んでいるが、米国人についてこのように語った。「海兵隊員が、人々を押し戻したり、報道陣のカメラを帽子で覆ったり、カメラを降ろさせたりするのを、私は見ました」。

 Ms. Dietz, whose apartment is near where the helicopter's tail rotor landed, recalled watching a group of marines blocking access to a group of senior Okinawa police detectives.
 ディーツさんは、ヘリコプターの尾部回転翼が落下した場所の近くにアパートを借りており、海兵隊員の一団が、沖縄県警の幹部クラスの人々が現場に接近しようとするのを遮断した顛末を見ている。*11

 "People were getting very angry, they were shouting, 'What country are we in?' " recalled Ms. Dietz, who took part in the protest on Sunday.
 「みんなとても怒っていました。『いったい自分たちはどこの国に住んでいるのだ』と叫んでいました」、想い出しながらそう語ってくれたディーツさんも、この日曜日の抗議に参加した*12

 But while the protesters marched outside, frustration reigned inside the fence of Marine Air Station Futenma. The American marines were angry that no one gave credit to the pilots who had wrenched their helicopter away from a populated area, or marines who, after spotting the struggling craft, scrambled over two 15-foot chain-link fences, raced through the campus and dragged out the three injured crewmen before the copter blew up.
 外側では抗議の行進が行われているいっぽうで、しかし、米国海兵隊普天間飛行場のフェンスの内側では不満の声が支配的であった。ヘリを旋回させて人口密集地から遠ざけた乗組員や、墜落する機体を発見した後、鎖で繋がれた15フィートのフェンスを越え、大学キャンパスを抜けて現場に急行し、ヘリが爆発する前に負傷した3名のクルーを助け出した米海兵隊員たちのことを、誰も正当に評価してくれないことに、怒りを感じているのだ。*13

 "It would have been irresponsible to allow people to walk through the wreckage," Lt. Gen. Robert Blackman said in his office on Sunday. "If there were Domino's guys getting around the outer cordon, they were not getting through the inner one to deliver pizza to the wreckage."
 「人々に機体の残骸の上を歩かせたりしていたらそれこそ無責任だったでしょう」、ロバート・ブラックマン中将*14は、日曜日に彼の執務室でこう語った。「しかしドミノ・ビザの配達のばあいは、警戒線の外をうろうろしていても、残骸の現場にピザの配達が出来なかったでしょう」。

 "We were basically following procedures, guidelines of longstanding application," he added, referring to a five-decade agreement that allows the United States to investigate accidents caused by American military personnel while on duty but off base in Japan. But the backlash has been so great that on Friday, American officials agreed to renegotiate accident guidelines with Japan.
 「我々は基本的に、長年にわたって適用されてきたガイドラインの手続に従っていました」、彼はこう付け加えた。これは、米軍が任務中に基地外の日本領土で起こした事故については米国による調査を認めるという、50年にわたる協定*15のことを言っている。だが、反対が非常に大きいことを踏まえて、金曜日には、米国は公式に、日本との間で、事故の際のガイドラインを再検討することに同意した。*16

 At Futenma, one of two American airstrips in Okinawa, there is a larger frustration. Built more than 50 years ago on flat land surrounded by sugar cane fields, it is now surrounded by neighbors who want it closed.
 普天間は、沖縄に2箇所ある米軍滑走路のうちのひとつであるが、より大きな困難を抱えている。50年以上前に、サトウキビ畑に囲まれた平坦な土地に建設されたこの滑走路は、現在では、ここを閉鎖したいと思っている近隣住民に囲まれているのだ。*17

 Paint is peeling, there is a hole in a hangar roof, and Col. Richard W. Lueking, the base commander, complains that "temporary" offices have served for 10 years. Construction stopped in 1996, when the United States and Japan agreed to build an alternative site at Nago.
 塗装は剥がれ、格納庫の屋根には穴が空いていると、基地の司令官であるリチャード・ルーキング大佐*18は「仮の」執務室をもう10年も使用しているのだとこぼす。米国と日本が代替施設を名護に建設することに合意した1996年に、工事はストップしたのだ。

 Critics deride the plan as a classic sop to politically connected construction companies: a $2 billion floating helicopter base that would be built on the other side of Okinawa, in a rough area nicknamed "typhoon alley." The military's plans involve blowing up a coral reef, then building a huge landfill and a steel platform nearly a mile long.
 批評家は、計画は政治的に癒着した建設業者に対するよくあるご機嫌取りだと冷笑する。2億ドルの海上ヘリ基地が、島の反対側に建設されることになっているが、そこは「台風の通り道」と称される気候条件の厳しい場所である。軍の計画には、環礁を破壊して巨大な埋め立て地と1マイルに及ぶの鋼鉄のプラットフォームを建設することも含まれている。

 At last count, the plan is opposed by 400 international environmental groups, 889 international experts on coral reefs, a majority of voters of Nago in a 1997 referendum, a lawsuit in United States District Court in San Francisco and a sit-in protest that has lasted for 147 days.
 大詰めの段階で、この計画はさまざまな反対にあっている。400の国際環境団体と889の国際的な環礁専門家の反対のほか、1997年に行われた名護の住民投票では反対が多数を占め*19、米国サンフランシスコ地裁では訴訟*20もあり、そして現在、座り込み運動*21が147日間続いているのだ。

 Last Thursday, Japan's government surreptitiously tried to send survey ships to visit the offshore site to drill 63 test holes in the coral. But the ships were met and harassed by a flotilla of sea kayaks, several piloted by local women in their 60's who have been training for the past year in maritime disruption tactics.
 先週の木曜日に、日本政府は秘密裏に調査船を出し、沖合の環礁に63箇所の穴を掘削しようとした。調査船はシー・カヤックの一群に遭い妨害を受けたが、これらのカヤックの漕ぎ手には、海上での妨害作戦のトレーニングを積んできた60代の地元女性たちも含まれていた。*22

 In Tokyo, Yukio Okamoto, a former Okinawa adviser to the prime minister, feels as if he has seen this before.
 東京で、元総理大臣補佐で沖縄について助言したことのある岡本行夫さん*23は、これは以前にも見たことがあるような状況だと感想を述べた。

 "When Okinawans feel isolated from the central government, they rise," said Mr. Okamoto, now a lobbyist, as he recounted waves of anti-base sentiment since World War II. "It may be happening again."
 「沖縄の人々が中央政府から見捨てられたと感じれば、かれらは立ち上がります」。現在はロビイストである岡本さんは、第二次大戦以来の反基地感情の波が高揚した事例を列挙しながら、そう語った。「同じようなことがまた起りつつあるのかもしれませんね」。


abekosuzuにもどる。


*1 『沖縄タイムス』紙がこの扱いについて紹介している
*2 宜野湾市HP航空写真で、普天間飛行場と周囲の様子がわかる。
*3 原文"shrugged"ですが、びっくりして身ををすくめたのか、「また何か事故でも起こったか」とうんざり気味に肩をすくめたのか、この身体表現はちょっとよく分かりません。 [smile]「まぁしょうがないと肩をすくめるむきもあった。」by松原宏之氏。
*4 事故当時の写真については、写道部や宜野湾市企画部広報交流課米軍ヘリ墜落事故抗議写真展を参照されたい。
*5 「トロピカル」に込められた意味には充分に注意しなければならない。意地悪な見方をすれば、普段はのんびりと=怠惰に過ごしている南の島の人々、といった言外の想定がここに潜むのではないだろうか。
*6 この記事で気にかかることのひとつは、宅配ピザについての地元の反感を強調する視点だ。関連ありそうな報道を地元『沖縄タイムス』紙の記事に求めてみる。「事故の翌日からは立ち入り禁止を示すイエローテープの内側で米兵がピザを食べたり、カードゲームをしたりする姿が確認されたほか、事故機周辺を防護服を着ずに歩き回るなど、“緊急性”は薄れていた」『沖縄タイムス』04年8月30日、あるいは、「 機体が運び出されるまで六日間。交代で現場を警備した若い兵士には、ラジオのスポーツ中継を聞きながら任務に就いたり、ピザを食べながら仲間の冗談に笑い転げたりするなど、緊張感のない行動が見られた」『沖縄タイムス』04年9月5日などがこれに相当するだろう。米軍と沖縄との関係性を象徴するエピソードの断片に過ぎないこの出来事だけで、沖縄の人々の怒りが沸点に達したわけではないことは、言を待たない。批判的なムードの機に乗じたデマにつられて、反対運動が盛り上がっているのではない。基地問題をめぐるより多くの事実を踏まえた行動であることを、指摘しておきたい。
*7 漢字の表記は不明なのでカタカナで失礼いたします。さらに誤記がありましたので訂正しました。お詫び申しあげます。
*8 「東京は」というのは「ワシントンは」に相似する本国政府の代名詞だろうが、沖縄の人はあまりこういう風に言わないような気がする。「日本は」「内地は」「ヤマトゥは」だったかも知れないと勝手に想像してみる。小泉首相の暢気な動向については、普天間の米軍ヘリ墜落事件。首相は優雅な夏休み、あるいは写道部への「ひが」氏コメントでまとめられている首相動静を参照されたい。ところで稲嶺沖縄県知事の動静は?彼は「休日には頭をカラッポにしたい」首相に会えなかったことで、「内地」的には沖縄の悲哀を一身に背負って立ったように見なされるが、事故現場に急行しなかった。写真家の石川真生氏はインタビューで「知事は県民の親なのに、沖縄に帰って二日後にしか現場に来なかった。子供が病院に運び込まれたと聞いて、家で一服してから病院に行く親がいるか。真っ先に駆け付けるはずだ」と指摘している。県知事がこうした批判に晒されていることも、小泉首相の挿話と並べておくべきだろう。
*9 原文"the overnight surge of anti-American feeling"をこのように翻訳してみると、市民大会の盛り上がりが、突如現れたかのように読める。しかし、辺野古の基地移設反対の座り込み運動が数ヶ月以上続いているという事実ひとつをとっても、沖縄の反基地感情は唐突に盛り上がりを見せたというような種類のものではないことは、記者が後段で指摘する通りである。
*10 この一文がどうもよく判らない。「事故現場は、そこを仕切っていた米国人にすっかり委ねられていたように見えた、こうした状況からしても、『日本復帰』は欺瞞であったとの批判が日本の自衛隊に突きつけられた。」とか?なぜ自衛隊が出てくるのか文脈も不明。どなたかお知恵を拝借したいです。早速のご意見を頂戴しました。 [smile]「事故現場を仕切るアメリカ人たちにおとなしく従っているとみえる日本自衛隊の兵士たちには「日本に帰れっ」と怒号が飛んだ。」by松原宏之氏。ナルホド。つい「日本復帰」なんて思い込んでしまった。しかし、現場に自衛隊はいたのだろうか?たとえば県警や機動隊を勘違いしたのだとして、事件現場に駆けつけて取り囲んだ沖縄の人たちは、県警(つまり同じ県人同士である可能性が高い)に向かって「日本に帰れ」などと罵るのだろうか?更なる疑問。
*11 「若者の態度が悪い」という指摘もあるとはいえ、この場合は"senior"は年配のというより、階級が上の、ということのようです。「通りすがりの方」からご指摘頂戴しました。有り難うございます。"a group of marines blocking access to a group of senior Okinawa police detectives" 「県警の一団への接近を遮断した」と読めますが、内容からして、「現場への立ち入りを」、ということでしょう。
*12 ケリー・ディーツさんはさまざまな報道でコメントを求められた様子。たとえば、ここここを参照。
*13 「誰も負傷したと報道されている乗組員を心配する様子がない」とは「フェンスの内側」からの見方のようだ。Stars and Stripes紙に寄せられた読者の意見を参照。"The U.S. Marines involved are human beings, and it would be best for bilateral relations if the local opposition acted with humane concern regardless of their political bent."(「事件に関与した米海兵隊員も人間だ。地元の反対運動は、政治的な傾向と関係なく人間らしい関心を持って行動することが、お互いの関係にとってベストだろう」)。なるほど、気持ちは分かります。地域に貢献しようと皆さんこんなにこんなに頑張っていますからね。しかし、残念なことに米兵と沖縄人は、沖縄で地位的に平等ではないらしいことは、この事件を含めて、これまでに繰り返し明かになっている事実だ。「基地の問題は沖縄と日本政府の問題だろう」という声はたびたび「フェンスの内側」から聞こえてくる。その論法を逆手に取れば、米軍関係者は、自分たちが沖縄で歓迎されていないという苦情を、沖縄に対してではなく、自分たちの軍と政府に対して向けるべきだろう。
*14 この人。在沖四軍調整官という役職です。市民大会での決議文の受け取りを拒否しています。「トーマス・ライク在沖米総領事から『事の重大性から受け取るべきだ』との助言があったため受け取る方向のようです。沖縄タイムス記事を参照
*15 原文"agreement"だが、正確には、日米地位協定は1960年締結で、まだ50年経っていない。ここでは地位協定の運用をめぐって交わされた日米地位協定各条に関する日米合同委員会合意のなかの「第十七条に関連する日米合同委員会合意」(1952年合意)を指していると思われる。
*16 じつは、ガイドラインの手続に則っていなかった、という話もある。「現場封鎖は合意違反」『沖縄タイムス』04年9月11日。日米地位協定とガイドラインについて、詳細な考察は米軍ヘリ墜落事故と日米地位協定とこれ以後の駝鳥氏のサイトを参照されたい。
*17 宜野湾市基地政策部 基地渉外課(基地の概要)よりFAC6051普天間飛行場 を参照されたい。この広大な飛行場建設の来歴は、沖縄戦であり、軍事占領によって暴力的に奪われた跡地に、占領者である米軍が基地を建設したのである。
*18 この人。普天間爆音訴訟で、ついに出てきませんでした。『asahi.com』記事
*19 住民投票の結果をまとめているページ『沖縄タイムス』紙を参照。
*20 自然の権利サイト内の沖縄ジュゴンFILEBOXを参照。
*21 沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団を参照。
*22 ボーリング調査への抵抗運動の様子はシンさんの辺野古日記の記録とジュゴンの家・日誌サイト内の9月9日木曜日の写真記録を参照されたい。
*23 この人。NYT記者は、どうして、現在、沖縄の問題に直接関与している日本と沖縄の政治家の声を記事にしなかったのだろうかσ(‥)?

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Last-modified: Thu, 05 Jan 2006 16:37:29 JST (5065d)