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阿部小涼「不都合な証拠/永続する瞬間」

※『けーし風』第45号(2004年12月)に掲載されたものを、許可を得て一部改訂しています。



 ニューヨークでは現在、二つの別々の写真展が、時期を重ねるようにして開催されている。ICP(国際写真センター) の「不都合な証拠:アブグレイブからのイラク捕虜収容所写真」展*1と、PS1(クィーンズにあるMoMa傘下の現代アートミュージアム)で展示されている「永続する瞬間:沖縄と韓国 内なる光景」展*2である。この二つの写真展は、いずれも米国の軍隊を批判する内容でありながら、様々な点で対照を成し、同時に開催される偶然が、様々な思考を刺激した。

 前者は、アブグレイブ収容所で捕虜を虐待する米兵を記録したデジタル写真の展示である。『ニューヨーカー』誌の記事でシーモア・ハーシュが詳細にレポートしたこと、発売直前にこの記事がCBSの報道で放映されたことで、事実が暴露された。それらの写真を、ICPで敢えて展示したのである。

 アブグレイブの写真が内包した構図は、ドキュメンタリの常識を覆す。撮影者は素人であり、イラク人捕虜達が虐待されている様を、現場に居合わせた記念のように撮った。あたかも、有名な建造物や美術品をバックにピースサインを出して撮影される観光の記念のように。だが、これを見る側の視線は虐待している米兵に釘付けになったのだ。撮影した者の共犯性も問題視された。電子メールで友人たちに配ろうとした行為も、一連の写真の大きな構図の一部である。

 展示に当たって、こうした経緯に細心の注意が払われたことが判る。米兵の手による写真は白い用紙にカラープリントされたものを、余白もそのままに、ありきたりな画鋲で壁に留められた。トリミングによる隠蔽を拒否し加害者の姿がありありと映し出される一方で、一部の被害者の顔にはマスキングの処理がなされた。キャプションのなかで個人として名前を特定出来る被害者は、告発者としてこの事態に屹立していることが判る。事件の報道を受けた現地の、怒りに満ちた人々の様子は、展示のための加工を施されフレームに収められた作品として展示された。アブグレイブの写真を見る者は、被写体ではなくその撮影者の位置を批評的に見ることになる。

 軍隊はある日、忽然と戦場に現れるものではない。一人一人の人間によって構成される大規模な組織が、基地とその周辺で、戦場を準備するための日常を過ごしている。日常のなかに置かれた軍隊が、それと隣り合わせに生活している人々と、どのような関係を取り持つのか。ことに強権的に暴力的に収奪した他国の土地に存在する軍隊の日常について、明らかにしようとするのが、「永続する瞬間」展であった。

 あらゆる意味でこちらの展示のほうが、写真家集団マグナムの拠点でもあるICPで開催されるに相応しいものだったと思う。「決定的瞬間」というカルティエ・ブレッソン*3の残した言葉に呼応するタイトルも、現代アートの拠点を会場とした展示も、何かアイロニカルに響く。これはまさにドキュメンタリ写真の展示だったのだ。

 かれらが捉えた構図は、事件の決定的瞬間だけではない。長く続く終わりのない占領を生き抜く生活者として、自らも被写体の一部と化してしまう石川真生*4の写真。土地と身体が傷跡として持ち続けている沖縄戦の記憶を撮影しながら、伝えて欲しいとの思いを託されてしまう比嘉豊光の写真。自らも当事者のひとりとして社会に巻き込まれ、表現者としての責任も負っている、その人達の手によるドキュメンタリは、権力的な撮影者の高見から被写体を撮る/盗るものではあり得ない。アン・ヘリョン氏*5以外の韓国の写真家たちに米国ヴィザが発給されなかったことは、米国の閉鎖性以上に、写真家達のアクチュアリティを生々しく伝えているだろう。

 ところで、ドキュメンタリ写真の展示に、キャプションや解説は、すでに作品の一部であると思う。「想像」に委ねてはならないものが、そこには映し出されているからだ。抑圧可能な「他者」を固定化しようとする視線は、容易に転覆することが出来ない。「轢死した若者の死体」「奪われた土地」の映像が、アブグレイブと同じインパクトを持って伝えられないアメリカの日常に、切り込まなければならない。伝えようとする写真家の努力と同時に、それを展示し置き直そうとする姿勢も問われていくことだろう。マーク・ルヴァインはアブグレイブで起こったことについて「見る目さえあれば、戦争犯罪の証拠は新聞に報じられてきた」という*6。見る目が失われているのは、今に始まったことではない。ICPの写真を見てリベラリズムの熱気を共有出来る人のうち、いったいどのくらいが、このPS1に足を運んだろうか。

 PS1のオープニング・イベントとして踊られた沖縄舞踊は、沖縄から来て写真展を成功させようとしている人々に対する、在NY県人会による心からの励ましであった。しかしそれは私の目には強い違和感を放って映った。木枯らしの吹く土地で冷たいコンクリートを踏みしめる踊り手たちの様子は、展示の内容との温度差を象徴しているかのようだった。「これが皆さんの知らない南の島の文化ですよ」と、にこやかに紹介される衣装や歌三線を眺めながら、他者を抑圧し収奪する眼差しは、書き換えようと抵抗する最中にも、強化されていくのかと途方に暮れてしまった。このステージの向こうに待っている写真のオキナワは、米国を歓迎していない。男を恋い慕う女の歌は、あなたたちに差し向けられていない。嫌悪感にも似た感情で頭が膨れあがってしまい、知らない間に挿入されていた替え詞に、危うく気付かずにいるところだった。「もとの沖縄にしておくれ」。あの小さな一刺しに込められた批判精神に気付く感性を、危険で暗鬱なこの先の4年間を過ごす米国に求めたい。


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*1 Inconvenient Evidence:Iraqi Prison Photographs from Abu Ghraib
*2 The Perpetual Moment-Visions from within Okinawa and Korea
*3 http://ja.wikipedia.org/wiki/アンリ・カルティエ・ブレッソンFondation Henri Cartier Bressonを参照。
*4 石川真生写真事務所
*5 安海龍Asia Pressソウル支局代表
*6 マーク・ルヴァイン「戦争犯罪をめぐる考察」(TUP速報312号 戦争犯罪をめぐる考察 04年5月17日)を参照されたい。

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Last-modified: Sun, 23 Apr 2023 00:07:31 JST (361d)