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「大学図書館のデジタル情報をハーレムで考える」阿部小涼
(『けーし風』第46号(2005年3月)のエッセイを許可を得て再掲載しています。)

   本日午後八時一五分から、ニューヨーク郊外、ヘムス
  テッド(ロングアイランド)のレイク・ヴュー・パーク
  で、「アフリカン・ディアスポラ」と題する、アフリカ
  の歌とダンスのイヴェント。
      『ニューヨークタイムズ』一九七四年八月四日。

 アメリカの大学で研究する利点のひとつは、図書館や文書館にある。アメリカ研究をする上ではすなわち現地の資料だから、まぁ当然と言えばそうなのだが。施設や環境、情報量という点で圧倒的で、こんな環境で育つ若者たちは、情報を制する国が世界を制圧するのだという誘惑に、駆られていくのかなと皮肉な気持ちになるものだ。私が貯金をはたいて初めてアメリカ合州国に足を踏み入れたのは、一九九二年の夏の初め、大学院修士二年の時だった。所持金を計算して、何枚までならコピーがとれるか勘定した事が懐かしい。それから一〇年以上が経過して、事態は様変わりしたが、それでも依然としてアメリカの大学図書館は優れた研究環境である。

 なによりも圧倒されるのは、電子化されたデータベースの規模であろう。過去二〇年ぶんくらいの学会誌の類は大抵が、インターネット経由で手に入る。夜中に自宅で本を読みながら、気になる論文はダウンロードしてすぐ読むことが出来る。不精者天国には諸手をあげて賛成。こういうデジタル礼賛的なことを書いていると、どこからか「電子化という権力によってこぼれ落ちていくのは弱い立場の人々の見えない姿、聞こえない声だ」・・・などという戒めの声が聞こえてきそうだ。しかし、それを充分に認識した上で使うのが、デジタル時代の研究者作法というもの。それどころか、こうした状況を有為に利用する戦略を実践するほうがずっとためになる。

 古い新聞が、テキストとして認識されるPDFファイルとして整備されていることは、今回のニューヨーク滞在で浴することが出来た恩恵のなかでも最大のものだ。自分の関心に即して言えば、『ニューヨークタイムズ』をその一八五一年の創刊からすべて、キーワードで検索することが可能になっている。冒頭の引用は、"African Diaspora"というキーワードで検索して得られた最も古い記事である。現在、非常に重要視されている「ディアスポラ」の概念を、アフリカ系について適用した『ニューヨークタイムズ』で最初の事例が、この一九七四年の小さなイヴェントを告知する記事であったかもしれない。公民権運動とブラック・パワー運動に支えられてアフリカ系としてのアイデンティティが様々な場面で高揚した70年代半ばという時期、アフリカの音楽とダンスを紹介する行為に、前衛的なシーンのなかではすでに定着を見せていたであろう「ディアスポラ」の語を掲げた人達に、しばし思いを馳せる。他にも例えば「多文化主義」という語が新聞紙上ではいつごろから登場するのか、など比較的新しい概念の形成過程を、ある程度了解可能な範囲で、正確に掴むことが可能になるわけだ。「人種」という語の意味内容の変化を丹念にトレースすることも出来るだろう。

 さらに歴史に埋もれた事件の調査にもすばらしい威力を発揮する。たとえマンハッタンに限定しただけでも世界はNYタイムズの報道だけで構成されていたわけではない。一九二六年七月にハーレムで起こった事件は、日常的に起こっていたプエルトリカンへの差別に対する抗議行動の意味を持っていた。しかし該当するNYタイムズの記事はごく小さく暴動事件として扱い、検索機能によって辛うじて見落としを免れるようなものだった。同じ報道をプエルトリカンのコミュニティ新聞の内容と比較する動機と手掛かりを十二分に与えてくれる。かつて「人種暴動」と報道されたものを、「抵抗」「反乱」として相応しく読み替えていく作業にもつながる。

 インターネットで利用できるのだから別に日本にいても、と思いがちだが、落とし穴がある。メンバーシップの問題だ。技術の革新と同時に閉鎖性の向上は、大学図書館で起こっている見逃せない変化である。書架に並ぶ本によって訪れる人すべてに開かれていた情報は、外部からの入館者を排除し、インターネット経由のリソースを増やしユーザコードで制限することで、管理が強化されている。実は、先の歴史的新聞資料は、私がお世話になっているニューヨーク市立大学では利用できず、私立のコロンビア大学の友人に頼んで使わせてもらったものだ。資金格差という経済は、ここでも冷徹な現実を容赦なくかいま見せる。潤沢な資金を背景にして、民間企業に委託されているデータベースの利用が可能になるというわけだ。環境による格差は研究者育成の現場で明かに進むだろう。高い学費を支払うことが出来る大学院生のみが、豊富なデータベースで短時間に資料をさばき、細かな情報にもアクセスしながら、充実した論文を仕上げる。金がなければ、体力と健康と時間を賭けても限界のある情報量で、同じ研究競争を生き残らなければならない。

 それだけではない。コロンビア大学はハーレム地区に不動産投資を行って、コミュニティ破壊を助長しつつ、こうした潤沢な資金を得ているのだとしたら、象牙の塔に囲い込まれた情報の対価というものを考え直さざるを得ない。恵まれた環境で育ったコロンビア大生に向かって授業のなかで「特権的に利用出来る豊富な情報を使って抵抗する戦略を構想するのは、君たち知識人の果たすべき役割だ」と訴えるハーレム出身教師の声に、応答できる世代が育つことを期待しよう。


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Last-modified: Thu, 05 Jan 2006 16:37:23 JST (5059d)