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阿部小涼「沖縄から占領を想像する」

※『けーし風』第41号(2003年12月)に掲載されたものを、許可を得て一部改訂しています。


 「私の知っている知識やあなたから聞く話と随分と違っているように思う」。ルームメイトが持ってきたU.S. Front Line誌には「イラク占領は沖縄を参考に」*1と題された論説が掲載されていた。原文は、コロンビア大学政治科学部のA. クーリーと、K. Z. マーテンによって『ニューヨークタイムズ』紙に寄稿された"Lessons of Okinawa"(沖縄の教訓)*2である。米軍はイラク占領にあたって、住民との関係が良好な沖縄の教訓を生かせ、と主張しているように読めるその内容に、原文で読んだ記憶をたぐり寄せながら、何か違和感を覚えた。


 この論説は、在沖米軍の経験を活かして、地域住民に寄り添った占領政策を展開すべきだと主張している。問題はその例示の内容である。沖縄では1995年のレイプ事件後の犯罪防止対策が一定程度の成功を収めており、軍は地域経済へも多方面で貢献しており、基地問題の連絡会議に日米両政府と並んで沖縄も参画している。これらの上首尾な経験の結果、沖縄には反米活動はなく住民は米軍を自分たちの味方だと考えている、というのである。詳細にわたる反論は控えて、ただひとつの矛盾点を指摘するにとどめる。すなわち、沖縄での「占領」は、公式には1972年の「本土復帰」によって終了したはずだ。もちろん論説でもそれは述べられており、論者たちにも周知の事実だ。にも拘わらず、20年以上も後の性暴力事件とその後の対応を「占領の教訓」と捉えて例示する政治学者の安穏。このテクストは図らずも「終わることのない戦争の継続のなかにあるのが沖縄」*3だという現実を、皮肉な形で暴露しているのである。


 沖縄占領モデルが想起される背景についてもう少し考えてみたい。イラク占領に関して米国の論壇では、第二次大戦後の日本占領をモデルとするというレトリックが流通し、これに対する賛否両論が闘わされて来た。「占領モデル」は、政府・軍関係者の間で既に戦争中の段階から模索と検討が行われており、そのひとつの保守派的着地点として、日本占領モデルは存在する。第二次大戦後の日本占領は、民主化の成功例として持ち上げられ、イラク占領もまた同様の民主化を目的としていることを喧伝するのである。その言説の背後に保守派の思惑を読みとった多くの歴史家達、特にC.グラック、A.ゴードンなど、在米の日本研究者達は、それぞれの専門領域の立場から警鐘を鳴らして来た。なかでも早い段階で、沖縄に言及してこれを批判したのは、管見の限りでは、『敗北を抱きしめて』の著者ジョン・ダワーであろう。彼は今年3月末の段階で、イラク占領のモデルとしては、日本占領は異質な点が多いことを指摘し、むしろ「アメリカの軍事帝国がグロテスクにはみ出してしまったような」沖縄占領のほうが類推に相応しい、と発言している*4


 ダワーによる「むしろ沖縄」という主張は、聞く側の位置によって、微妙な温度差を伴って伝えられたのではないか、と私は見ている。例えば、金平茂紀はダワーとの対話から、日本を担ぎ出すのは民主的な占領と見せるためのブッシュ政権の「詐術」であると、米国保守派のレトリックを暴く批判を重視し、「(本質的には基地存続によって『占領』が継続している)沖縄こそが、イラクの今後の現実に近い」との発言を紹介しつつ、沖縄占領の問題性と重ね合わせるようにフォーカスする*5。これと対照的なのが例えば船橋洋一によるダワーの紹介である。彼はイラクの現状との比較から「日本」の敗戦後と民主化の軌跡を論じたところを重視し、日本の戦後史評価のほうに注目していくのである*6。両者によるダワーの「読み」は異質である。


 このように見てくると、冒頭の論説「沖縄の教訓」は、ダワーの「むしろ沖縄」批判を、完全に読み替え、すり替えた保守派ヴァージョンとして見なすことが出来よう。「沖縄モデル」の中にこそ米軍の民主的配慮をくみ取ろうというのである。論説は「沖縄の経験に学べば、米国はイラク占領を成功させ、早々に部隊を帰国させられる」と結論する。なるほど、さっさと帰ろうというときにこそ、占領は沖縄から想起されるべきであろう。占領は沖縄ではまだ終わっていない。これこそが「沖縄の教訓」ではないのか。


 さらにこの論説が日本語に翻訳されて在米日本語誌に再掲載されるということの意味についても考えざるを得ない。例えば次のような一文がある。「米当局はイラクの中央政府だけではなく、(とくに、沖縄のように、それが明確に異なるエスニック集団を代表している場合には、)地域政府との間にも緊密な連絡網を確立しなければならない」。括弧内は、原文にあって翻訳からは削除された部分である。論者のひとり、マーテンは、日本占領モデルを批判する根拠として、その社会的均質性がイラクの多民族・多宗教的状況と異なることを主張する論客である。著者たちは恐らく意図を込めてこの部分を書き込んだ。ところが翻訳のプロセスでそれは抜け落ちた。意識的かそうでないかは想像するほかないが、このような些細なところに「日本」の沖縄に対する眼差しが現れていないだろうか。問題を沖縄にずらしておく限り、敗戦から立ち上がった奇跡のような私達の過去は傷付くことなく、沖縄の悲惨とは他人面をしながら、そのレトリックに付き合っていけるような、そのような眼差しである。



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*1 「イラク占領は沖縄を参考に」U.S. Front Line, No. 192 (August 20, 2003), pp.59-60. U.S. Front Line誌は、ニューヨークとロスアンジェルスを中心に広く知られる在米日本語情報誌のひとつである。隔週刊で出るこの雑誌には様々な生活情報などと共に、毎回『ニューヨークタイムズ』紙の社説・論説がいくつか翻訳紹介される。
*2 Alexander Cooley and Kimberly Zisk Marten, "Lessons of Okinawa," New York Times, July 30, 2003.
*3 新城郁夫『沖縄文学という企て:葛藤する言語・身体・記憶』インパクト出版会2003年、6頁。
*4 David Wallis (Interview), "The Way We Live Now: 3-30-03: Questions for John W. Dower; Occupation Preoccupation," New York Times , March 30, 2003.
*5 金平茂紀「イラク占領と沖縄占領:『大義』の裏に軍事戦略:民主化イメージは詐術」『沖縄タイムス』2003年5月1日。
*6 船橋洋一「船橋洋一の世界ブリーフィングスペシャル:イラク、マッカーサー型占領の幻想」『週刊朝日』2003年4月18日。

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Last-modified: Sun, 23 Apr 2023 00:07:31 JST (360d)