***阿部小涼「カラー・ラインを越えないアメリカ」 [#gd86cedf]
 &size(10){※『けーし風』第42号(2004年3月)に掲載されたものを、許可を得て一部改訂しています。};
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  故マーティン・ルーサー・キングJr.の生誕を記念した祝日を目前に、一月十六日、ジョージ・W・ブッシュがアトランタにあるキングの墓に献花した。大統領選を控えた微妙な時期に、戦争を指揮した人物が非暴力のキングを讃えるのは矛盾だと、抗議の声が起こったという((Richard W. Stevenson, 'Protesters Chant and Boo As Bush Honors Dr. King," New York Times (January 16, 2004).))。これは何かたちの悪いジョークだろうかと、キングを知る人は思うかもしれない。しかし、一九六三年ワシントン大行進での有名な演説の中で語られた彼の夢は、皮肉にも白人保守層の政治と符号する要素を持っている。「私の四人の子供達は、いつか、肌の色ではなく、その人としての資質によって判断されるような国に生きてほしい」。~
 
  教育的な番組製作で知られるPBSは、黒人史月間である二月に合わせて「カラー・ラインを越えるアメリカ(America Beyond the Color Line)」を放送した((ゲイツは、キングの没後30年の1998年にも[[「二分する黒人アメリカ(The Two Nation of Black America)」:http://www.pbs.org/wgbh/pages/frontline/shows/race/]]と題した番組を製作している。))。「二〇世紀の問題はカラー・ライン(人種を隔てる境界線)となるだろう」。これは二〇世紀初頭に、人種差別と闘った論客W・E・B・デュボイスが、著書『黒人のたましい』の冒頭に掲げた予見である。この本が世に問われてから一〇〇年。番組では、ハーヴァード大学の哲学者ヘンリー・ルイス・ゲイツJr.が、さまざまなアフリカ系の人々にインタヴューを行うなかで、豊かな経済機会に恵まれている、刻苦勉励して成功したアフリカ系ミドル・クラスが、それでも白人社会に同一化したわけではないことが明かにされる。目に見えない境界線は依然として横たわっているのである。~
 
  このふたつのエピソードは、アメリカの人種に関する思想的状況の現在を示しているようで興味深い。一九九〇年代以降アメリカでは多文化主義の「行き過ぎ」が批判され、人種を基準としたマイノリティへの差別是正措置が「優遇」と見なされる風潮が支配的となる。マイノリティの存在も、ラティノスやアジア系などに細分化され、「白対黒」という対抗図式を単純に思考することが困難になった。これらが、経済の停滞と保守政権の誕生に重なった。肌の色による差別が法的に廃止された今となっては、マイノリティもその人の資質によって経済機会を決定されているのだという理解。これこそが、保守派がカラー・ブラインド(肌の色を問わないという態度)を掲げ、キングの平等論と親和性を持つ回路に他ならない。アフリカ系で女の大統領補佐官と、ジャマイカ系移民二世で男の国務長官を起用した超保守政権が、公民権運動を継承していると振る舞い、社会的に成功した保守派マイノリティが、機会の平等は必要だが結果の平等はアメリカのエートスに沿わないと証言を加える。~
 
  かたや、「多文化主義」を支えた側は、予め孕んできた理想主義の限界に直面する。多文化主義の融和的イメージがナショナリズムと容易に結び付くこと。自らの内部に潜む人種意識。カラー・ラインの問題は二一世紀になってもなお越えがたく存在することに、左派知識人やマイノリティのコミュニティは膠着した問題を、その内部に抱え込んでしまったようだ。あらゆる事象を言説として捉える脱構築主義、ポスト構造主義などの言論状況も、こうした膠着状態と絡めて再考すべきところだ。人種はもはや生物学的に真実/実態として存在するのではない、という脱構築の議論が、人種を根拠として問題提起すること、あるいは議論し続けることを、無意味化していくような迷走を生んだ。人種(あるいは差異)はつくられたものだとする議論には、だから誰しもが無色無徴の存在としてスタートラインに立てるという平等主義の横車となる危険性が潜んでいる。~
 
  こうした言論状況に対して積極的に介入を行う研究者のひとりに、ロビン・D・G・ケリーがいる((Robin D.G. Kelley, Yo' Mama's Disfunktional!: Fighting the Culture Wars in Urban America (Boston: Beacon Press, 1997).))。特に都市の現地調査を元にした社会学に散見される、人種問題の階級問題への回収を、保守化する全体的な政治的な状況と関連させつつ批判した。人種を根拠とした抵抗を封じるいっぽうで階級に対する福祉政策の切り捨てには、自助努力(self-help)という、アメリカで重んじられるエートスが、正当化のロジックとして巧妙に利用されていることを暴露するのである。九〇年代後半に再び「人種」の問題に対峙する潮流が顕著となるのは、その必要があったからではないだろうか。機会は自助努力によって勝ち取ることが可能なのか。弱者に対する保護はもう充分尽くされたのか。カラー・ラインを越えた機会の平等は実現できていない、その現状を曝すことがゲイツやケリーの狙いでもある。ふとしたニュースに耳を向ければ、それはすぐに判ることだ((コロンビア大学では保守系学生グループが、アファーマティヴ・アクション・ベイク・セールと称してマジョリティに高くマイノリティには安くドーナツを販売したという。マイノリティを揶揄する行為に憂慮し学長が公式に批判を加えている。Karen W. Arenson, "Columbia University Leader Condemns Racial Incidents," New York Times (February 25, 2004).翌日のニュースでは、ニューヨーク州の高校で、アフリカ系とラティノスの卒業率が抜きんでて低いことが調査で明かになったと報道された。Greg Winter, "Worst Rates of Graduation Are in New York, Study Says," New York Times (Feb. 26, 2004).))。~
 
  一九六〇年代の公民権運動とエスニック・スタディーズの成果と見なされた多文化主義も、保守主義と人種平等主義が限りなく接点を持って形骸化したと、悲観的に議論を終える訳にはゆかない。人種をめぐる議論は、出口なしに見える螺旋状の階梯を辿りながらも議論を深化させる方向に向かっている。主知主義の陥穽を注意深く避けて、人種は構築されたもの、だからこそ、その構築される歴史的プロセスを批判しなければならない。歴史や経験を重視し主体の関係(権力関係)が均質で対等ではないことを出発点としなければならない。「人種」を無意味化する前にやるべきことはまだ沢山ある。~
 
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